No. 1001

関わらない方が気楽?
劇的に変わった嫁姑の関係
(宮城県CT/50代女性/非常勤講師)

結婚当初、義理の両親と食事をすると、とても緊張したものです。後で夫に、「スプーンを持つ手が震えていたよ」と言われるほどでした。それもそのはず、義母は良く言えば元気がいい人、悪く言えばきつい人。私は怖くて近づけなかったのです。「あなたはいじめがいがあるわ。落ち込むから」と言われた時は、耳を疑いましたが、冗談でもない様子。そんなことを平然と言う義母だったのです。

本心は関わりたくないけれど…

15年前、突然訪れた夫の死。うつ状態になった私を気に掛けてくれたのが、義母でした。感謝しつつ、「できれば関わりたくない」。怖いという本心はやっぱり変わりません。ただ、神の教えをずっと学んできて、親子の縁が薄い実体には気付いていました。そもそも、実母とあまり仲が良くなかったのです。そこから改善しようと一歩踏み出し、だいぶ仲良くなってきた頃、ふとよぎるのは義母の顔でした。

あんなに元気だった義母は、お盆やお彼岸で会うたびに体が弱り、つえを突くようになっていました。「義母とも仲良くしたい」ボソッと本音の祈願…。ある日、義母がタクシーで病院に行くと聞き、車で送迎しようと思い立ちました。義父を亡くして26年、一人で暮らしてきた気丈な義母です。「無理しなくていいのよ」と言っていましたが、顔はうれしそう。私にはそう見えました。

高齢で、料理を作るのも大変だと分かり、時々おかずを差し入れ。食べることが大好きなので、一緒に外食も…。「すごい助かったー!」「一緒に行ってくれてありがとねー!」と毎回言われて、毎回「役に立ててうれしい」と思いました。義母との触れ合いが、「気が重いもの」「やらねばならぬもの」ではなく、楽しいものに変わっていったのです。

神に変えていただいた私の心

今年の4月、私の母、娘、そして義母を誘い、女4人で温泉旅行に行きました。「不思議だな~。祈願して楽しく頑張ってたら、こんなに仲良くなれた。神のおかげ…」と感謝を深めていました。

いつの間にか、本当の親子のようになっていた義母と私。そして、そうなることを待っていたかのように、今年、義母が心の世界に旅立ちました。明魂祭を終えた今、よみがえってくるのはキラキラした思い出です。実は、後妻だった義母。実子はいませんでしたが、人から私のことを「娘さんですか?」と聞かれるたびに、うれしそうにしていたことを思い出します。私が「嫁です」と言うと、「娘です、と言っておけばいいのよ」と。そんな義母を、いとおしく思いました。そういう心に変わっていたのです。

神の教えを知らなければ、義母とは必要以上に関わらずに終わっていたと思います。それが、子供や孫に悪い流れを残してしまうとも知らずに…です。あんなに怖かった義母と、こんなに楽しい日々を送れたことは私の宝物。大きな自信となりました。義母に出会えて、本当に良かったです。

限りある時(時代)を生かすすべが 「心(魂)」安らぐ家庭にあると悟るべし
和心育つ家庭の姿を知って
    「教え」で心重なる家庭を築く 努力を欠いてはいけない
 その努力が 家族の和心を育て 運命の力を引き出し
    「心の道」に良き因を残してゆく

限りある時(時代)を生かすすべが
  「心(魂)」安らぐ家庭にあると
              悟るべし
和心育つ家庭の姿を知って
  「教え」で心重なる家庭を築く
       努力を欠いてはいけない
 その努力が 家族の和心を育て
  運命の力を引き出し
   「心の道」に良き因を残してゆく

令和4年10月23日 信者心の基勉強会家庭編(中略あり)