No. 929

大好きな母が認知症に…
神と乗り越えた「切なさ」
(石川県TN/50代女性/パート)

しっかり者で、神様大好きで、誰からも慕われている母は、私の永遠のお手本です。母の知人に、「あのお母さんの娘さんね」と言われるだけでうれしくて、娘として恥じない自分になりたいと思ってきました。

母は、85歳を過ぎても、元気に一人で暮らしていますが、最近、様子がおかしいな…と思うようになりました。同じ物を何度も買ったり、毎日何十回と電話をかけたりして、物忘れもひどいのです。

受け入れられないつらさが…

あんなにしっかりしていた母が認知症。「うそでしょ?」とても受け入れられません。母がとんちんかんなことを言うと、「違う、こうだよ」と一生懸命訂正しました。こんな間違いをする母ではなかったのに…と思ったら、つらくて、切なくて、その反動で、つい強い口調になっていました。

偉光会館で、職員に「母の現状を受け入れるしかないんでしょうか」と相談したら、「『~しか』じゃないですよ。祈願ができるんですよ。まだまだできることはありますよ」と言われました。「~しかできない」と決め付けていましたが、母は人の顔もまだまだ分かるし、一人で料理もできます。だから私も、そんな母との時間を楽しく過ごせるようにしたいと思いました。無理に受け入れようとしなくても、自然と切り替えられたのです。

ある時、母から着信があり、折り返しかけると、「何?」ときょとんとした様子。事情を説明すると、「私がかけたん? 何言うか忘れちゃった」と言うので、「じゃあ、思い出したらいつでも電話してね」。これが言えたのが、自分の中ですごくうれしかったです。

いつもの母に戻っていく不思議

時々、母は「まさか自分がこんなふうに忘れてしまうなんてね…」と寂しそうに言います。だから、「お母さんは今まで頑張ってきたから、いいんやよ。私も20年後にはそうなっとるかもしれんし」と返しました。その頃からでしょうか。母の症状が落ち着いているのです。私が仕事で落ち込んだ時には、「目の前のことをしっかりやれば大丈夫。神がお守りくださるから心配ないよ。行っておいで!」と力強く送り出してくれました。その顔は、いつもの「しっかり者のお母さん」。涙が出るほどうれしかったです。

偉光会館に伺って、皆さんに服装を褒められた母が、「これ、二十歳の時に買ったんや」と誇らしそうに言っていました。「お母さん、それはないやろ」「あら、そーお?」と親子でノリツッコミして、大笑いしました。私の心も、母の心もこんなに穏やかで、こんなに温かい交流ができることが奇跡だと思います。今、私が目指しているのは、究極の仲良し親子です。

人間は 家族との関わりの中で 生涯を歩み 「心の道」をつないでゆく
 人間は誰も 老いて 終日を迎えてゆく
 その時 家族の縁が 悔いを残さず「生きる」 心の支えと成る
「教え」に生きる家庭 家族は 会話にあふれ
    互いの「運命」を重ね 補い合って「生きる」強さがある
 「教え」のある家庭には 家族の心が重なり合って 老後の不安 迷いは起きない

人間は
  家族との関わりの中で 生涯を歩み
      「心の道」をつないでゆく
 人間は誰も 老いて
      終日を迎えてゆく
 その時 家族の縁が
    悔いを残さず「生きる」
      心の支えと成る
「教え」に生きる家庭 家族は
    会話にあふれ
  互いの「運命」を重ね
   補い合って「生きる」強さがある
 「教え」のある家庭には
    家族の心が重なり合って
     老後の不安 迷いは起きない

『真実の光・神示 平成29年版』14ページ(中略あり)