No. 917

「良い妻」を演じる違和感
無理なく出てきた素直な心
(岩手県TS/60代女性/パート)

同居の義母は偏食で、「『肉』と付いてる物は食えん」などと言います。「魚肉ソーセージは、魚だからいいでしょ?」と聞くと、「『ソーセージ』と付くから嫌だ」と言われる始末。毎日食事作りに苦労する私に、夫は「ありがとう」もなく、それどころか私を裏切る行動を取ったのです。妻としても、嫁としても務めを果たして、家族仲良くやってきたのに何で? 心の中には恨み、憎しみが募りました。

悩みを生み出したのは自分?

苦しさを引きずりながら過ごしていたある時、神の教えの「悩みの根源は、自分の『心』にある」という内容がとても響きました。けんかはせずとも「心」で夫を責めながら、家族に気を使い、言いたいことも我慢してきた数十年。私は、女優のように良い妻、良い嫁を演じていただけ。この「心」で仕合せになれるはずもありませんでした。

「夫婦は本音で話し合う」という教えを思い出し、「自分の実家のことだから」と遠慮していた草刈りをお願いすると、「いいよ、手伝う」と、拍子抜けするほど気持ちよくやってくれました。波風を立てないように良い妻でいるよりも、素直に接していく大切さに気付いたのです。

向ける「心」が変わったら

義母に向ける「心」も根は同じでした。ご飯を作るときの気持ちは、「面倒くさい」「自分で好きな物を買ってくればいいのに」。「この心は悪い」と思い、「義母が喜んで食べられる物を作りたい」と祈願しながら作るようになりました。

孫に作ったピザトーストを、義母用に具材を変えて出してみました。トウモロコシと玉ねぎとチーズ。すると、「すごくおいしかった。腹持ちもいいし」と大喜びしてくれて、レパートリーが一つ増えたのです。それが本当にうれしくて、私の「心」が優しくなれた気がしました。

最近、義母は残さず食べて、「ごちそうさま」と言ってくれます。時に残しても、「無理しなくていいからね」と、普通に言える自分がいます。そんなふうに義母を気遣う私を夫が気遣って、残ったおかずを食べてくれるのです。

演じるのではなく本心で

夫に「私を妻にしてくれてありがとう」と伝えました。義母に「長生きしてね」と言うと、ニコニコ喜んでいました。どちらも間違いなく私の本心です。そんな言葉が言える自分に変われたのです。

神の教えを知らなければ、心の奥底で恨む、憎む…の生き方を続けていたでしょう。その「心」がどれほど自分や子や孫の人生に悪い影響を与えるか、神の教えで目が覚めました。「それなりの仲良し」だった私たちが今、「深い仲良し」になれた喜びでいっぱいです。

「教え」を心(人生)の支えに生きる努力をする
 自然と心(気持ち)は安定し 物 事の見方が変わる
 相手 状況を変えるのではなく 自分の心を変えることが必要
 「教え」に生きるほど 「心」は変わり 生活環境が好転する
「教え」が 自らあるべき心 取るべき行動を示している
 運命に重なる「人生」 心の動きが取れるとき
    人は皆 「人生」に悩み 迷うことがない

「教え」を心(人生)の支えに
        生きる努力をする
 自然と心(気持ち)は安定し
      物 事の見方が変わる
 相手 状況を変えるのではなく
    自分の心を変えることが必要
 「教え」に生きるほど
    「心」は変わり
      生活環境が好転する
「教え」が 自らあるべき心
      取るべき行動を示している
 運命に重なる「人生」
    心の動きが取れるとき
  人は皆
   「人生」に悩み 迷うことがない

『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』128ページ(中略あり)