No. 916

身近に感じた「熟年離婚」
教えで見えた回避のコツは
(高知県KH/50代女性/パート)

最近、「熟年離婚」という言葉を聞くたびに「それ、何となく分かる!」と思っていました。別に、夫婦仲が悪いわけではありません。夫は真面目で優しい人です。でも、カーテンやふたなどの開け閉めが「きちんと」できません。中途半端なものを見つけては、夫に注意する毎日に「これで定年後も一緒にやっていける? 1人の方が気楽では…」と考えたこともあったのです。

当てはまることばかりの学び

先日、普段は怒らない夫が、「そんなにいろいろ言われてもできんわ」と爆発。仕方なく私も黙りましたが、心に浮かぶのは「ムカツク、ムカツク」の文字ばかりでした。

夫がコロナに感染し、自宅療養となったのは、その翌日です。部屋の前に食事を運び、電話で様子を尋ねると、「あんなに偉そうに言ったのに、ごめん。ありがとー」と、つらそうな声でねぎらってくれました。高熱があるのに…。思いがけない優しさに、「何をそんなに怒ってたんだろう」と、怒りが一気に流れました。そして、「何か気付きたい」と、手付かずだった配信授業を学び始めたのです。

神の教えは、私に当てはまることだらけ。夫に「何でそんな幼稚なことができん?」なんて、随分「上から目線」だったと反省しました。この性格を変えたくて、「思いやりが持てるように」「短気を直したい」と祈願もより真剣に。すると、不思議と「○○せんといかん!」と、言い放つことがなくなりました。選択肢すら与えなかった私が、「○○しようか」「○○だけどどうする?」と言っています。夫も優しく返してくれて、「これが夫婦」としっくりきました。

湧き上がった「一緒がいいね」

その後、夫は無事に回復しましたが、やっぱり「きちんと」は苦手なまま。これは性分なのだと思います。そうであるならぐじぐじ怒って「させよう」とせず、気付いた私がすればいいこと。やってみれば1秒もかからず、「何てつまらないことで怒っていたのか…」と、心にあったトゲが抜けたようでした。

それに、私だって、日々夫に支えられているのです。私にはリウマチがあり、痛みが出ると、階段で動けなくなることがあります。そんな時、「大丈夫か」と支えてくれるのは夫です。差し伸べてくれる手の温かさ。私の話も否定せず、優しく聞いてくれていました。そうしたことに気付いた今、毎日が本当に楽しくて、「夫と一緒がいいね」と思います。

夫が出勤すると、ほっとしていた私が、今は心から「行ってらっしゃい」と見送っています。この気持ちを忘れず、前の自分に戻らないように。そして、前と違う私たちの姿を、我が子に見せていきたいです。

縁を深める極意は一つ ――会話を楽しむ――
会話の「真理」 見えていようか
 奉仕心に生きるなら 自然と「愛」が芽生え
    互いの心(運命)は交わり 重なり 互いの思い(実体)も解け合ってゆく
――人は 一人で生きているのではなく
    多くの力(運命)を頂いて 互助して輝く存在――
 この一言「真理」を心に留めて 会話を楽しむ我であれ

縁を深める極意は一つ
    ――会話を楽しむ――
会話の「真理」 見えていようか
 奉仕心に生きるなら
    自然と「愛」が芽生え
  互いの心(運命)は交わり 重なり
    互いの思い(実体)も
        解け合ってゆく
――人は 一人で生きているのではなく
    多くの力(運命)を頂いて
      互助して輝く存在――
 この一言「真理」を心に留めて
    会話を楽しむ我であれ

『真実の光・神示 平成27年版』100ページ(中略あり)