60歳を目前にして痛む両足首。診察を受けると、「手術が必要。その後は障害者になる」と言われました。長年、介護福祉士として働いてきて、障害者だった夫の介護もやり遂げて…。介護する立場だった私が障害者…? 突然の宣告を、ただぼうぜんと聞いていたのでした。
神示から「生き方」に気付く
私の性格はというと、目の前に壁が立ちはだかれば、よじ登るタイプ。その心意気でどんな苦難も地道に乗り越えてきました。しかし、今回は違います。手術後は普通に歩行できなくなった上、痛みに耐え続ける毎日。やっと少し歩けるようになったと思ったら、異常が見つかってまた手術。それを3回も繰り返したのです。
神示を読み始めたのは、正直、苦しさから逃げたい思いもありました。神示の持つ力はすごいです。「人は誰も、運命実体の中で生き抜くのが定め」という一節に、心がぴかっと光り、不思議と今の自分を受け入れる気持ちになりました。肩肘を張らなくても、自然と変わっていく私の心…。「供の会」の皆さんの存在も大きかったです。介護「する」側も、「される」側も、どちらも経験している自分だからこそ、できる心遣いがあるのでは…と思ったのです。
やりたいことにあふれる人生
人に気を使われるのは嫌。一人でバリバリやっていた頃の自分は、どこか上から目線だったかもしれません。「ここまではできますが、ここからお願いできますか?」。今は、謙虚な心を忘れずにいられる気がします。「助かりました」と、心から感謝を伝えると、相手も喜んでくれて、お互い笑顔。そのやりとりが何とも心地いいです。
最近、地元の公民館や高齢者クラブでのお手伝いを始めました。体は動きづらくても、人を元気にする心遣いは、いくらでもできます。私は声が通るので、明るく挨拶すれば皆さんが振り向き、寄ってきてくれるのです。「話が面白くて退屈しない」と言ってくださる方もいます。支えていただくことも、お役に立てることもある毎日は、「お互いっこ」と感じます。
立ち上がるときは、うんと気合いを入れないと転んでしまいます。体全体が痛む日もあります。でも、それも生きている証拠。夕方の祈願で、「きょうも頑張りました」と神に、自分の体に感謝です。知り合いには、「年々元気になるね。きれいにもなってる」と驚かれます。「まだまだ、できることはたくさんある!」時間が足りないほど、毎日が充実しています。
「教え」を「心(人生)」の支えに据えて 感謝の心を常に欠かぬように意識する
この思いが身に付くほどに 自然と人 物との出会いは深まってゆく
感謝の思いが奉仕の心を引き出して 精神世界に「生きる」人(存在)を育む
感謝の心が人の心を 「真実の愛」に生きる人へと導く
「教え」を
「心(人生)」の支えに据えて
感謝の心を
常に欠かぬように意識する
この思いが身に付くほどに
自然と人 物との出会いは
深まってゆく
感謝の思いが奉仕の心を引き出して
精神世界に「生きる」
人(存在)を育む
感謝の心が人の心を
「真実の愛」に生きる人へと導く
『真実の光・神示 令和3年版』111ページ(中略あり)