No. 827

同じような毎日なのに
見える景色が変わる不思議
(静岡県TH/70代女性/主婦)

夫を亡くして一人暮らし。コロナ禍で外出もほとんどしません。「何をすればいいんだろう」と考え、思い付いたのが、神の教えを学ぶことでした。

無理なく組み込んだ「学び」

これまでも、勉強会で学んではいましたが、「取りあえず聞いたからいっか!」で終わり。いかんせん、私は子供の頃から勉強嫌いなのです。そこで、無理なくできる学び方を自分なりに編み出しました。

朝、一通りの家事を終え、朝ドラを見て、その後、配信授業か教会図書で学ぶ。これを日々のルーティンに組み込みました。すると、「これは勉強会で聞いたところと同じだ!」と、少しずつ教えがつかめてきて、だんだん楽しくなってきたのです。

そんな中で、いつの間にか心に変化がありました。日課のウオーキング。近所の子供が挨拶を返してくれるだけで、とってもうれしくなるのです。人に声を掛け、そして声を掛けられる喜び。「足が悪いから、ごみ出しを手伝ってほしいの」「お茶を飲みに来てちょうだい」など…。できることは惜しみなくさせていただいて、どんどん充実する私の毎日。この年になって、神の教えのすごさに気付きました。

「自ら求める」と全く違う!

神の教えを何となく聞いていた頃と違い、「自主的に」学ぶと人生に深みが増していくのを感じます。

自分では普通に声を掛けたつもりが、相手の反応がいまひとつ。前はそんなこともありましたが、自主的な学びを重ねる中で、善かれと思ってやり過ぎていた自分に気付けたのです。

先日、近所の会社の駐車場が草だらけになっていました。会社の方に「私、暇だし、良い運動になるから、草取りさせてもらってもいいかなあ?」と尋ねると、「本当にありがたいです」「あんたすごいね」と言われ、こちらも感謝でした。聞かずにやればおせっかい。でも、ひと声掛ければお互いに感謝。「道を守る生き方」も、自然と身に付いてきたように思います。

家事に、買い物に、ウオーキング。やっていることは以前と同じなのに、湧き上がる心の景色がまるで違って見えるのです。一人暮らしでも、子供や孫がしょっちゅうLINEをくれるので、孤独感が全くありません。勉強嫌いの私が今、人生の中で、一番楽しく勉強しています。

「教え」を学ぶほど 人間は 真実の愛が身に付き 感謝の思いが「人生」を包む
「教え」を学び 「真理」に悟りを得て 「実体」を修正する努力をする
 自然と人を思う気持ちが引き出され ますます「道」を守る心(信念)の人となる
人間は 人との出会いを生かし合い 期待に応える心を身に付けて
    初めて運命に重なる人生を手にできる
 その時 真実「仕合せ」を共有している

「教え」を学ぶほど
  人間は 真実の愛が身に付き
    感謝の思いが「人生」を包む
「教え」を学び 「真理」に悟りを得て
    「実体」を修正する努力をする
 自然と人を思う気持ちが引き出され
  ますます「道」を守る心(信念)の
    人となる
人間は 人との出会いを生かし合い
    期待に応える心を身に付けて
      初めて運命に重なる人生を
        手にできる
 その時 真実「仕合せ」を
    共有している

『真実の光・神示 令和3年版』21ページ(中略あり)