生まれつき耳が不自由で、幼い頃から寂しい思いをしてきました。家族はみんな健聴者で、会話の内容が分からないこともあり、仲間外れのようでした。特に覚えているのは、妹とけんかした時のこと。掃除機をかけていたら、妹が黙ってコンセントを抜いたのです。音が聞こえない私は、掃除が終わった後でそのことに気付き、「ばかにされた」と、ものすごい怒りが込み上げ、妹の大切な縫いぐるみを壊してしまいました。
寂しかった理由に気付く
寂しさでいっぱいだった心は、神と出会い、少しずつ変わってきました。神は、「相手にも心があること」を教えてくれたのです。私は、自分の思いはストレートに伝えるものの、人の話はちゃんと聞いていませんでした。耳が聞こえないからではありません。「相手の心を分かろうとする思い」がなかったのです。私は主に手話や筆談でやりとりしますが、気持ちが変化すると、表情や文字から相手の「心」が見えてきました。だから、私も「言葉を選んで伝える」ことを意識するようにもなったのです。
妹に対しても、その心を考えるようになりました。私は自分の寂しさにしか目が向いていなかったけれど、妹こそ、家族の不仲もあって、寂しかっただろうな。妹が結婚して早く家を出たのは、居心地が悪かったからかな。そんなふうに感じました。
心が通い合う姉妹を目指して
両親が亡くなった今、私にとって妹が唯一の肉親。だからこそ、縁を深める努力をするようになりました。「昔、姉らしいことはできなかったけど、これからは心が通い合う、本音を語り合える姉妹になりたい」と、祈願し始めたのです。
そんな中、母の法要の行い方について、妹と話し合いをしたところ、意見が食い違ってしまいました。昔の私なら押し通したと思いますが、妹の表情をよく見て、考えを聞いて、自分の意見もちゃんと伝えました。その結果、お互いに納得できる形で話がまとまったのです。「調和って我慢することではないんだな」と実感できたのも、私にとっては心の成長の一つです。
家族の愛に気付けた喜び
先日、地震が起きた時、妹がすぐ「大丈夫?」とLINEをくれました。「ありがとう。大丈夫」と返信したら、「よかった」と。短い言葉から伝わってくる、一人暮らしの私を案じる「心」。それが、とてもうれしかったです。それからしばらくして、妹の子供の家に呼ばれ、生まれたばかりの姪(めい)の赤ちゃんを抱っこさせてもらいました。すごく仕合せな気持ちでした。
2年ほど前に母をみとってから、「自分には家族はいない」と漠然と感じてきましたが、大きな思い違いでした。神が、なぜ「教えを軸に家族に関わる」ことを何度もお教えくださるのか…。理由が分かりました。今、不思議なほど心が爽やかです。
家族との出会いに気付きを得て 人は実体を高めてゆける
「教え」を学び 「真理」で家族に触れる努力を重ねる
自然と会話が増えて 深まり 心(感情)も穏やかでいられる
「教え」が人間に あるべき心の姿を気付かせる
後は 自ら「真理」に悟りを得て 出会いに生かす努力をする
多くの人との出会いに「心(人生)」を支えられ 生きがい多い人生を歩んでゆける
家族との出会いに気付きを得て
人は実体を高めてゆける
「教え」を学び
「真理」で家族に触れる
努力を重ねる
自然と会話が増えて 深まり
心(感情)も穏やかでいられる
「教え」が人間に
あるべき心の姿を気付かせる
後は 自ら「真理」に悟りを得て
出会いに生かす努力をする
多くの人との出会いに
「心(人生)」を支えられ
生きがい多い人生を歩んでゆける
『真実の光・神示 令和2年版』65ページ(中略あり)