母は許せない存在でした。母といっても、血のつながりはなく、父の再婚相手です。母は弟ばかりかわいがり、私はいつも蚊帳の外。父が他界すると、溝はさらに深まりました。私ががんを患っても、母も弟も人ごとのような態度。母に「私たちはいないと思って、関わらないでちょうだい」とまで言われ、体の痛みより、その言葉が痛く、苦しかったです。そしていつしか、私の中でも「家族」は、「捨ててしまったもの」になりました。
教えに触れて、変わっていく心
昨年、上司から神示教会のことを聞きました。頂いたご案内パンフレットを見ると、「宗教法人」と書いてあります。宗教はちょっと…。でも、読んでみると感動する内容です。「私もこういう人生を歩みたいな」と、素直に思ったのです。
そうして信者になったのが、ほんの2カ月前。神の教えの正直な感想は、「家族、家族って出てくるな」。しかも、教会の十教訓には、「人を恨むな」「憎むな」とあります。それができないから苦しいのに…。一つ、不思議だったのは、踏んだり蹴ったりだった人生の「理由」が見えてきたことでした。良くも悪くも、親、先祖から受け継いだものがある。父も、私もがんです。温かい家庭にも恵まれませんでした。そんなことを考えていたら、涙が出ました。
「神の教えだから守らねば」と思うと、苦しくなってしまいます。だから、「母を恨む気持ちを流したい」と本心を祈願することから始めてみました。そんなある日、突然、母から「げんきでいるの?」とメールが届きました。機械が大の苦手な母の、平仮名だらけの文章…。でも、その裏にある母の思いを、私は確かに感じました。「元気ですよ。コロナが落ち着いたら、お茶でもしたいですね」と返信。この時、私の心は既に変わり始めていたのだと思います。
自分から歩み寄れる不思議
数日後、今度は弟から「母と連絡が取れない」と電話があり、2人で慌てて実家へ。着いた瞬間、母がショッピングカートをコロコロ引きながら、歩いてきました。「無事でよかった!」思わず抱き付きました。母のカートからは、仏花がちょこんと飛び出していて、じーんとしました。実家の仏壇には、父だけでなく、私の実母のお位牌(いはい)もあります。母はずっと花を供え、手を合わせてくれていたんだ…と思ったら、全てのわだかまりが流れた気がしました。
久しぶりに3人でお茶を飲みました。母に「お供えありがとう」と心を込めて伝えると、「あなたのこと、いつもお父さんに報告してたの」と思いがけない返事。その顔は、昔のきつい母ではなく、どこかかわいらしい、丸いおばあちゃま。そんなふうに思った自分に自分でびっくりしました。
その後、引っ越ししたので、弟に住所を連絡すると、「がんの治療ができる病院の近くでよかったね」と電話をくれて、これもまた驚きました。自分から家族に歩み寄ることで味わえる、たくさんの不思議。「家族、家族って言われる神様だな」。最初はそう思いましたが、本当に母と弟、2人の「家族」が私の心を救ってくれています。思えば、上司がくれた1冊のパンフレットから、全てが始まりました。この神にご縁を頂いたこと、そして神示教会を教えてくれた上司に、感謝の気持ちでいっぱいです。
「教え」に生きるほど 人は家族との関わりを大切にする
「教え」を家庭に生かす努力が 家族の心(運命)を磨き 引き出す
「和のある家庭」に 家族の人生は 神の手の中守られてゆく
「教え」に生きるほど
人は家族との関わりを大切にする
「教え」を家庭に生かす努力が
家族の心(運命)を磨き 引き出す
「和のある家庭」に 家族の人生は
神の手の中守られてゆく
『真実の光・神示 令和2年版』123ページ(中略あり)