昨年、咽頭がんの手術を受け、声を失いました。「夫も亡くなってもういないし、声なんか出なくていい」落ち込んだという心をはるかに超えて、ふさぎ込んでいた私。しかし、それから一年、何としても神に御礼を申し上げたくて、偉光会館に参拝しました。今、一年前とはまるで違う私の心があるのです。
家族の支えで前向きな気持ちに
なかなか立ち直れずにいた私を支えてくれたのは、同居の次男でした。口数は少ないながらも、折に触れて、「ご飯、食べた?」「無理するなよ」といたわってくれました。何とも心強く、「ああ、やっぱり家族なんだ」と感謝が込み上げました。
和のある家庭に、人の心は安定する。神の教えで学んだとおりでした。息子に安心してもらおうと、「無理してないよ」「大丈夫だよ」と、声にならなくとも一生懸命に伝えることを意識。「家族のために…」と思うと前向きになれ、意欲も湧きました。リハビリで、声も少しずつ出るようになったのです。
役に立ちたい心が芽吹いて
ある日、友人から、「介護施設で、利用者の話し相手になってほしい」と声を掛けられました。でも、かすれた声で人と触れ合うことに、抵抗が拭えません。うじうじと思い悩む私を見かねて、「やってみたら」と、次男が背中を押してくれました。
私自身、つらい気持ちを神に訴えているうちに、「いつまでも立ち止まっていては駄目だ。自信はないけど、少しでも役立てる場があるなら…」と踏み出す勇気が湧いてきたのです。
自分の力を生かせる喜び
施設にはさまざまな症状の方がいて、戸惑うこともありました。しかし、教えを学んでいたおかげで、いつも「目の前の方が明るい気持ちになれるよう、できることは何でもしたい」という心でいられました。
ある認知症の女性は、前任者から聞いたとおり全く話せません。それでも、「こんにちは」「体調はどうですか?」などと、事あるごとに話し掛けました。ある時、「何歳ですか?」という何げない問いに、答えが返ってきてびっくり。「○○さんの声が聞けた!」「会話ができた!」と心が躍りました。その方から、人とコミュニケーションの取れる喜びをあらためて教わった気がします。かすれていても声が出るのに、人のためにできることがあるのに、投げやりだった自分が恥ずかしくなりました。
一人一人が、神から頂いた「社会に役立つ運命」を持った存在。「人のために」という心さえあれば、何があっても、どんな状況に置かれても、運命は決して枯れません。
周りの喜ぶ姿に生きがいが
その後、コロナの影響で会えない期間が続きました。それでも、久しぶりに施設に伺うと、皆さんが私に大きく手を振り、手招きしてくれて、胸がいっぱいになりました。「私の声で元気になってくれる方がいる!」と、大きな喜びを味わっています。
人と関わることで、私の方が励まされ、どれほど力を頂いたことか…。人は、一人では生きていけないことを再認識し、だからこそ人の役に立ちたい思いが膨らみました。声が出る限り、周りの方に喜んでもらえる言葉をたくさん伝えていきます。
神示で確認 「喜び」の仕組み
我が「運命」 その力の大きさを信じて生きよ
――世に「奉仕」する――
人との出会いを大切に生きるほど
皆の存在光り輝き 「生きる」心の喜び 「自信」が持てる
『真実の光・神示 平成22年版』132ページ
神示で確認 「喜び」の仕組み
我が「運命」
その力の大きさを信じて生きよ
――世に「奉仕」する――
人との出会いを大切に生きるほど
皆の存在光り輝き
「生きる」心の喜び
「自信」が持てる
『真実の光・神示 平成22年版』132ページ