No. 450

家族から孤立していた私が
味わう「愛される仕合せ」
(秋田県YO/60代女性/主婦)

夫は話をしてくれない。たまに家に来た子供や孫は、作った食事を食べてもくれない。「こんなに尽くしてるのになぜ?」ほんの一年前まで、私の心は寂しさと不満でいっぱいでした。

転機になったのは、コロナ禍での自粛生活です。『理知の真理』と『心の正道』を、端からむさぼるように読みました。仕合せな家庭のつくり方、悩んだときの心の向け方…。全部分かっていたつもりでしたが、ただの思い込みでした。私は、いつも「相手の問題」と思っていて、自分自身では何一つ実践していなかったのです。

家族のため? それとも…

心機一転、「信者として再スタートを切る!」と固く決意しました。気持ちが変わると、朝夕の祈願の真剣さが全く違います。神の教えも、以前とは比べものにならないほど、心に入ってきました。

「冷めないうちにご飯食べて!」「温かいうちにお風呂に入って!」私の口癖は「~して!」でした。全部“家族のため”と思っていましたが、結局は思いどおりにしたいだけ、つまり“自分のため”でした。家族に距離を置かれていた理由が、やっと分かったのです。申し訳なさがあふれました。

自分が善かれと思ったことばかり言うのではなく、家族の思いを聞いて、寄り添う。それが、本当の意味で“家族のため”になる。そこに気付いてからは、言葉遣いを「~して!」から、「ご飯ができたよ」「お風呂が沸いたよ」など、「~したよ」に変えました。これまで口にしたことがなかった、「ありがとう」や「助かったよ」も、たくさん伝えていきました。

「ばあちゃん」と呼ばれる喜び

すると、あれほど私を避けていた夫や子供たちが、「ご飯食べる!」「すぐお風呂入るね」などと言うのです。穏やかなやりとりができるのが不思議でした。家族を思ってくれる夫の優しさなど、これまで見えなかったものも見えてきました。

最近は、孫が「ばあちゃんのご飯が食べたい」と言い、我が家に来る機会が増えました。みんなで交わす何げない会話が楽しく、「ばあちゃんちは落ち着く」と言ってくれます。

信者として再スタートを切ったあの日から、たった一年でこんなに変わるとは…。神に祈願できることも、教えを学べることも甘く捉えていたことが、今になってよく分かります。「ばあちゃん、ばあちゃん」と声を掛けてもらえる喜びは、何物にも代えられません。神のおかげで得られたこの仕合せを、ずっと大切にしていきます。

神示で確認 「喜び」の仕組み

「教え」を家庭で生かすほど 家人の心は重なり 「愛」が育つ家と成る

『真実の光・神示 平成28年版』13ページ

神示で確認 「喜び」の仕組み

「教え」を家庭で生かすほど
    家人の心は重なり
      「愛」が育つ家と成る

『真実の光・神示 平成28年版』13ページ