姉、私、弟。私たちきょうだいは三人とも気が強く、顔を合わせれば言い争いが勃発。「いっそ関わらない方が気楽」と、次第に疎遠になっていきました。
相手にしか向かなかった心が…
独身の私は、両親と同居して面倒を見てきました。ところが母は、5年ほど前に転倒して以来、脳の損傷で意識が戻らなくなりました。入退院を繰り返していた父も、徐々に体が衰えていき、とうとう医者から「覚悟してほしい」と告げられてしまったのです。
命の瀬戸際にいる父と、どう向き合えばいいのか…。親にとっては、三人とも大切な「我が子」のはず。そう思うと、私の感情で二人にちゃんと連絡を取らないことなど、絶対にできないと思いました。
とはいえ、話をしたときの二人の反応を想像すると気が重く、必死で神の教えを学びました。その中で気付いたのは、「自分の心を見詰める」大切さです。私は相手を責める心が強く、特に弟のことは、「身勝手で話が通じない」と思っていました。
自分の言動を振り返ってみると、思ったような反応がないと、「それなら勝手にすれば!」と、すぐにキレていた姿が見えてきました。「身勝手で話が通じない」のは私だった…。がくぜんとしました。
「悔いなく送る」思いを軸に
そこから小まめに連絡を取り、治療の方針などを一つ一つ相談していきました。弟から強い口調で返されても気持ちがのまれなかったのは、「悔いなく父を見送りたい」という軸が心にあったからです。親を思う気持ちは、姉も弟も同じでした。毎週のように見舞うなど、献身的な様子を目にするほどに、心の中にあったわだかまりが、自然と消えていったのです。
やがて父は旅立ち、本人が生前希望していた教会葬儀(玉納奉寿)で見送りました。段取りなどの決め事が盛りだくさんで、ぶつかることもあったものの、最終的にはお互いに譲歩し、歩み寄る…、そんな関係になっていたのが不思議でした。
姉も弟も、儀式に深く感動したようです。これを機に、神の館に足を運ぶようになりました。何と約30年ぶりのことで、本当に驚きました。
今もなお染み渡る親の愛
父が旅立って8カ月後、母が息を引き取りました。この時は、「玉納奉寿で送ってあげよう」という姉の言葉から、全てがすいすい決まっていきました。「昔のぎくしゃく感は何だったの?」と思うほど、声を掛け合い、助け合うのが当たり前の「仲良し三人きょうだい」になっていたのです。
両親を相次いで見送るのは、大変悲しい出来事でしたが、父と母が私たちを「和解」に導いてくれたように思えてなりません。命は消えても、我が子の仕合せを願う思いは、消えることはない…。親の大きな愛が、今、心に深く染み渡ってきます。その愛を絶対に裏切らないよう、いつまでも三人で仲良く、支え合って生きていきます。