自分本位の夫に不満が募って
短気でマイペースな夫は、私が何を相談しても、「俺の知ったことじゃない」が決まり文句。早期退職して、毎日家にいるのに、出勤前に慌ただしく雪かきをしている私を横目で見ているだけでした。いつしか、「この人に求めても無理」と諦めながらも、「全部、私がやるしかないのか…」と悶々としていたのです。
神示に触れて今までを反省
そんな私の心が変わったのは、教会から届くメールマガジンや公式サイト、教会図書などで、いつでも神示に触れられたからでした。教えを学ぶうちに、「無駄だから、言わない」「自分が我慢すればいい」と決め付けていたのも、自分の性格の表れと気付きました。「和のある家庭が仕合せの基」と知っていても、「心の芯からそれを目指していたか…」「本気で夫と心を重ねる努力をしていたか…」と反省したのです。
心に寄り添う妻になろうと
学びと祈願を繰り返すうち、心がゆったりしてきて、夫を見る目も、穏やかになっていったのです。以前夫が、「自分は3人兄弟の次男で、兄貴は欲しい物を何でも買ってもらい、弟は何をしても怒られたことがない。叱られるのはいつも俺だった」と、寂しそうに話していたことを思い出しました。求めるだけでなく、夫が喜びを味わえるように、心に寄り添える妻になりたいと思いました。
夫婦の気持ちが重なった瞬間
私の気持ちが変わったからか、夫の言動も少しずつ和らいでいきました。そんな中、ごみの収集場所の掃除当番が回ってきました。ことしは大雪で、清掃に加えて、雪かきもしなければなりません。仕事に行く前では大変なので、「思い切って、夫を頼ってみよう」と思い、声を掛けました。結局、夫からのリアクションはなく、私が前日のうちにやっておきました。
ところが、当日の朝、夫が「掃除はどうした?」と声を掛けてくれたのです。気にしてくれていた夫の気持ちを大切にしたくて、「ありがとう。念のためにきのうしたけど、また雪が降ったから、雪かきしてもらえたら、助かる!」と言うと、うれしそうな顔で出掛けていきました。その後ろ姿に、「これから、もっともっと夫婦の気持ちを重ねていこう」と固く誓いました。
神の教えを学んでいる家族であればこそ、お互いを生かし合える仕合せを感じ、もっと心を磨いていきたいと、希望に胸を膨らませています。