私が経営する配食サービスの会社では、障害者の就労を支援しています。
障害のある方は、想像以上に人の目を気にして心を閉ざし、中には、自分は生きる価値がないと思っている人さえいます。
ある日、「私は仕事が遅いから…」と悩んで、出社しなくなった方がいました。「丁寧さがあなたの良さよ」「みんな寂しがっているよ」と励まし、やっと出社することに。ところが今度は、他の人たちが、「社長はあの子だけをかわいがっている」と嫉妬したり、感情的になったりしてしまったのです。誤解が解けるようにみんなに関わりつつ、私自身も百個を超えるお弁当を時間までに作らねばならず、ゆとりを失いそうになりました。
「供の会」の神示に気付きが
そんな時、公式サイトで「供の会」(障害がある人の行事)のページを見ました。「人は誰も、神から社会で活躍できる力を与えられて誕生している」という教えに、ハッと目が覚めた思いでした。私は、障害者の方々に対して、「傷つけないこと」ばかり考え、一人一人の「役立つ力」を見ていなかったのです。
「もっとみんなの力を信じていこう」と、心を改めました。それぞれの良さを生かそうと意識して向き合うと、誰もが過剰に甘えなくなり、仕事に向かう気持ちが増していったのです。
認めながらも課題は伝えると…
ある時、他の会社で無断欠勤を繰り返してきた青年が面接に来ました。
一言も言葉を発しませんでしたが、とても瞳がきれいだったので、「目がキラキラしていていいですね」と褒めたのです。その後の実習では、前向きに仕事を覚えようとしているのが、手に取るように分かりました。そして、「とっても楽しい。俺、ここに来たいです」と言うのです。私は「一緒に働きましょう」と受け止めながら、「でも、無断欠勤は駄目よ。つらくなったら、必ず家族に気持ちを伝えて、支えてもらおうね」と、神の教えを心に置きながら、愛を持って伝えました。青年の瞳はさらに輝きを増し、今ではリーダー的存在として周りから頼られ、毎日頑張っています。
出会いに喜びを感じる毎日
同じ職場で働く夫と、「子供がいない私たちが、たくさんの出会いを頂けて、本当に仕合せだよね」と語り合う日々。ますます生きる力が湧いてきます。
これからも、その人、その人が持っている良さを重ね合う喜びを、たくさん味わっていきたいと思います。