栗が実る時期になると、母は丁寧に皮をむいて、近所の方に甘露煮を作ります。「喜んでくれるかな」とウキウキした表情を浮かべている母は、80代半ばになる今も、まるで少女のようです。
でも、「今のご時世、物を差し上げることは負担では…。何ておせっかいなのかしら」と思い、忠告していた私。しかし、母の元に届くのは皆さんからの感謝ばかりでした。
「どうしてだろう?」と考えた時、その答えが教えにありました。神が示される、人のために心を尽くし、多くの人に慕われる人生を歩む価値。母への感謝の中には、「真心を感じながら頂きました。あなたの生き方を見習っていきます」というお手紙も。愛が愛を呼ぶ母の生き方が、私にどれほど良いものを残してくれているのか…。感謝しかありません。
二人で神の教えに生きればこそ
とはいえ、私たちは、お互いに心配を掛けないようにと、もともと思いを語り合うことが少ない関係でした。それでも、心が安らぐ家庭を築くために、会話がどれほど大切か。神が教えてくださる、その意味に気付いて、二人で実践に努めてきたのです。
今では、日常のたわいない話はもちろん、「これから帰るね」の連絡一つも大切にしています。「気を付けて帰ってきてね」という母の言葉に、「ありがとう」と返事を重ねるやり取りが心地よく、それだけで心が和みます。
ある日、母は「きょう読んだご神示に『感謝』とあったの。私にとっての感謝は、あなたと暮らせることよ。ありがとう」と、それはうれしそうに言ってくれました。母のストレートな気持ちに、何とも心が温まり、生きる力がみなぎりました。真心がこもった言葉は、人をこんなにも元気にするんだと実感したのです。
以来、私も母を見習って、温かい言葉を使おうと、今まで以上に意識しています。ある時、職場の後輩を、「いつも笑顔がすてきね」と褒めました。すると後輩は、「うれしい! 頑張ります!」と、ますます一生懸命仕事に取り組むようになったのです。自分が一歩踏み出して、周りの人に温かい関心を向ける大切さを感じています。
苦労を乗り越え、愛する心を
思い返せば、昔は人付き合いが苦手で、人を見れば、避けよう避けようとしていました。それが、今は、出先でのちょっとした人との出会いもうれしく、自分から話し掛け、会話を楽しんでいます。
これも、母の生き方をそばで見てきたおかげです。一緒にいると、人と縁を深める、コミュニケーションのコツが分かります。
夫を早くに亡くし、苦労の連続の人生を送ってきた母ですが、年を重ねるごとに明るさが増し、笑顔も柔らかくなっています。一つ一つ神と乗り越えてきたことが糧となって、今の母があるのだと感じます。
そんな人生のお手本が身近にいる私こそ、「感謝」です。