No. 394

不安だった親との生活が
掛け替えのない時間に変化
(岩手県HM/50代女性)

父が亡くなり、母と二人の生活が始まった時は、ささいなことでぶつかってばかりでした。伴侶を失った母のつらさを頭では分かっていても、これから仲良くやっていけるのか、不安しかありませんでした。

そんな中で母が骨折し、私も病気で入院することになり、生活が一変。でも、姉や妹が懸命に支えてくれました。これが家族の愛なんだ…と感じた時、自然と離れている母のことに心が向き始めたのです。「今は何をしているのだろう」「もうご飯食べたかな」と。そばにいるのが当たり前で、母の心を全く見ていなかったことに気付いたのです。ぶつかってばかりではいけない、家族なのだから、もっと心を重ねていこうと決めました。

「心を感じ取る」努力を重ねて

無事に退院し、再び母との生活が始まりました。早速、神の教えで学んだ「相手の思いを尊重する」ことを意識してみました。

母は気丈で、何でも自分でやりたいタイプです。腰を曲げて畑仕事をする母に、これまでの私なら「無理しちゃ駄目!」と、無理やりセーブさせていたかもしれません。でも、頑張ろうとする母の気持ちを思うと、「へこたれないですごいな…。少し見守ろう」と、穏やかな心でいられました。そして、私も一緒に手伝ったり、いたわる言葉を掛けたりしたのです。

ある時、私が家事をしている間に、母が片付けをしてくれていました。その瞬間、「母なりに精いっぱいやろうとしてくれているんだ…」と感じ、尊敬心が大きく膨らみました。

母は今、毎日感謝の言葉を口にします。「きょうは天気が良くて、畑仕事ができた。ありがたい」「おかげさまで、この年まで元気でいられる」そんな母を、ますます尊敬するようになりました。

母の存在に支えられる毎日

先日、神の館で、母の長寿を祝う儀式を受けました。普段おしゃれをしない母のために、私はすてきな洋服を準備しました。その服に身を包み、「娘ってのは、いいもんだねえ」と満面の笑みを浮かべている母。その姿に私たちの心も温まり、とても仕合せな時間でした。

私が母を助けているようで、私の方が支えられているんだな…と感じます。母がいてくれるだけで、心からの感謝が込み上げる毎日です。母に寄り添いながら、親子の時間を大切に過ごしていきたいと思います。