私には、幼稚園の年中クラスの娘がいます。通園のおかげで、先生方や保護者の方々と、たくさんの出会いがありました。
神示から先入観に気が付いて
神の教えに心を支えられ、大きなトラブルはないものの、中には「ちょっと苦手だな」と感じる方もいます。子供そっちのけで、ママ友同士で盛り上がる人たちです。教員という職業柄か、その姿に「親の部活動ではないのに…」と、何となくもやもやした気持ちを抱えていたのです。
そんな時に出席した供丸光先生の授業で、特に心に刺さるように響いたのが、この神示でした。
「物、事は、存在ではなく、心に映る感情が乗って見えるもの。相手、状況を変えるのではなく、自分の心を変えることが必要」(『心の正道16』29ページ)
この神示を目にして、無意識のうちに「私の見方は正しい」と思い込んでいた自分に気が付きました。延々と盛り上がるママ友の姿や、仲良しこよしの役員に対して「それは違う!」と、こだわる私の偏った価値観。話の輪に入らないのは自分の意思なのに、一抹の寂しさを感じる自分。不平、不満、劣等感や優越感といった感情。それらが、人を見るときのフィルターになっていたのではないかと思ったのです。相手の良さが見えなくて、勝手に「苦手な人」という先入観を持ったのは、他でもない私自身の心でした。
出会いを生かす生き方に
そう気付いた時、私はとてもほっとしました。なぜなら、相手を変えることはできないけれど、自分の心は変えられるからです。どんな出会いも、生かせるかどうかは自分の気持ち一つにかかっている。しかも、私たちには神が付いています。
その後、ママ友の姿が気にならなくなって、適度に話に加われるようになりました。また、役員の方々が、みんなを気遣いながら仕事をしていることにも気付けて、心から感謝するとともに、その思いを素直に伝えられるまでになったのです。ささいなことかもしれませんが、神に後押ししてもらった気がします。
あの授業を受ける前と後で、私の日常は一見何の変化もなく続いています。しかし、幼稚園の送迎時に周りの方々と会話を交わす私の心は、明るく前向きに変化しました。今は、誰にでも心底からの笑顔で声を掛けて、縁を深めることを意識しています。そんな毎日が、とても仕合せです。