我が家は、食事中、聞こえてくるのはテレビの音だけ…。思い返せば、子供のためにも、夫婦げんかはしないと肝に銘じ、「我慢することが和合」と思うようになりました。結果、言いたいことが言えず、そのうち夫も話さなくなり、会話がなくなっていったのです。心の中で責め続ける毎日は、つらいものでした。
先入観が会話の邪魔を
心なえずに過ごしてこられたのは、神の教えを学んでいたからです。やがて、「夫と会話のある家庭をつくりたい」と、心を持っていく方向が分かりました。そして、そこにたどり着くには、まず私が変わろうと思ったのです。
妻として支えていけることを神に願い、夫が仕事で苦しんでいる時には、心が元気になるように声を掛ける日々…。
そんな時、家事と親の介護でいっぱいいっぱいになっていた私を、夫が励ましてくれました。それをきっかけに、介護の大変な状況や、つらい気持ちを話せたのです。夫は、真剣に聞いて、私の気持ちを分かってくれ、それだけで、一人ではないんだと心強く感じました。
「どうせ言っても駄目」という先入観をなくして、自分から話せば、夫も思いを返してくれる。この気付きは大きなものでした。
何よりもうれしい一言が
今、妻として夫を支えたい思いは、より深くなっています。夫のことを掛け替えのない存在と思えて、以前とは考えられないほど、会話を楽しめる家族になりました。我が家の奇跡です。
先日、夫が、仕事の関係で表彰されることになった時に、「お前のおかげだ」と言ってくれました。今までのつらさが吹き飛ぶくらいうれしかったです。
「今」出会えた家族を大切に
教えでよく聞く「和のある家庭」を築くために、気持ちを押し殺して、波風を立てないようにしようと頑張ってきましたが、大間違いでした。ささいなことでも思いを伝える。ちゃんと相手の思いを受け止める。それがこんなにも大切で、心地良いとは思いませんでした。意見が違うことがあっても、穏やかに思いを伝え合う中で、いつの間にか、笑いを交えたキャッチボールに変えられるから不思議です。
神の教えを学ぶと、これまでの生き方を反省することもあります。でも、後悔するのではなく、今に生かせるように、家族で教えを学ぶ努力をしています。限りある人生の中で出会えた家族をいとおしみ、生きていきたいです。