No. 337

難しい同僚に気付かされた
「本心から」の大切さ
(群馬県TY/70代女性/看護師)

看護師として働いている私は、「人のために役立ちたい」と、常日頃から思っています。本心からそう思うことの大切さに気付かせてくれたのは、気難しい同僚でした。

惜しみない助言にもムッとされ

事あるごとに周りとぶつかる同僚に、「何だろうこの人…」と、やることなすことをけげんに思っていました。「あの人ってこうだよね、ああだよね」という陰口に、「そうね」と同調してしまうことも。しかし、「これでは駄目。人との調和を説かれる神の教えで、ちっとも生きていない」と反省し、職場の雰囲気にのまれないように心掛けたのです。

ある日、その人と一緒に仕事をすることがありました。「彼女に少しでも歩み寄るため、自分のできる範囲で、作業を伝えることから始めよう」そう思った私は、「こうするともっと早く終わりますよ」と、アドバイスをしてみました。

ところが、同僚は、ムッとした表情で黙ってしまったのです。どうしてそのような反応をするのか、その時の私には分かりませんでした。

内心は責めていたことを反省

でも、学んでいくうちに、いかに自分が上から目線だったかに気付いたのです。

いい人ぶってアドバイスをしても、本心は「この人はいつも作業が遅い」と責めていました。それだけでなく、出勤時に挨拶も返さない同僚のことを、「何で挨拶しないの?」と心の中で責めていたことにも気付きました。

そんな心で接しては、相手が気持ちよく受け止めるはずがありません。とにかく自分の心の狭さを反省しました。そして、相手を責めるのではなく、ありのままのその人を受け止められるように、神に訴えました。しばらくすると、どんな態度も気にならず、自分から温かい気持ちで、声を掛け続けることができていたのです。

そうして、挨拶が返ってきた時は、どんなにうれしかったことか…。どんどん信頼関係が深まって、いろいろな話ができるようになりました。周りの仕事仲間に、「どうしてあんなに穏やかに話ができるの?」と驚かれるほどです。

神の教えがなければ、相手を責め続けたまま、縁は深まらなかったと思います。同僚のおかげで、私の良くない心の動きを見せてもらえました。いろいろな性格の人がいるから、自分の良さや弱点に気付くことができます。そのことに感謝しながら、精いっぱい人のために生きていきます。