淡々と過ぎていくだけの毎日…。心によぎる思いは、「つまらない」「何のために生きているのだろう」。夫と両親が他界し、子供も自立して、一人寂しく暮らす私でした。
現実を受け止める大きな心を
神の教えを学び続ける中で心に引っ掛かったのは、「感謝とは、現実を受け止める大きな心」という言葉。思えば、足りないことばかりが目に付き、“ありがたい”気持ちなんてみじんもなかった…。そう感じ始めた矢先、嫁いだ娘が体調不良に。夫婦で話し合った末、一カ月ほど私の元で休養したいと言ってきたのです。
とはいえ、娘とは、何かとぶつかり続ける関係。うれしい話なら喜んで耳を傾けられても、苦しい話には「聞きたくない」と逃げ腰に。なのに今回は、「現実を受け止める大きな心」と教わった言葉が頭に浮かんで、「助けを求めてきた二人の気持ちに応えたい」「この機会を無駄にしたくない」と思えたのです。「何でもどっしりと受け止められる大きな強い心に」そう祈願していると、今まで聞けなかった本心を娘が話してくれました。
過去の苦しい出来事、心の詰まり…。一つ一つに一緒に向き合い、娘の気持ちを受け止めている自分がいました。以来、感情をぶつけ合わなくなり、良くない話もできる間柄に。すると、娘の体調は日ごとに回復し、元気になって元の生活に戻っていきました。その後も、近況を連絡してくる娘。「お母さんは、どんな話も受け止めてくれるね」。親を慕ってくれる子供がいて“ありがたいな”と、うれしさが込み上げる。そんな日が、私にもやって来たのです。
“ありがたい”と思えたら…
“ありがたい”気持ちは、他の場面にも伝搬するようになりました。自分が作った食事、いつものそれが「元気だから食べられる」。10年以上乗っている車にも、「いろいろな所に行けるのも、この車のおかげ。いつもありがとう」と愛着が湧いてくる…。すると、つまらないと思っていた毎日が、華やかな色に変わっていくのです。
「つまらない」毎日をつくっていたのは、何と自分自身。洗面所でトイレットペーパーが切れているタイミングに遭遇すれば、「また私が交換するの!?」。それが、「次の人のために」と、気持ちよく補充できるのです。不満が取れたら、日常の一瞬一瞬を楽しめて、出会う人や物がいとおしく思えてきました。職場の若い人たちに、「何でも教えてあげたい」という気持ちで接するうち、「丁寧だし、質問しやすくて…」と喜ばれて、やりがいも感じています。
教えを素直に受け止めて
生活は、以前と何も変わっていません。違うのは、自分に巡り来る出来事を、広く大きな心で受け入れられること。たったそれだけで、楽しくて、心が満たされて、「仕合せだな~」と思える自分になれました。
“神の教えを素直に受け止める”これが大事だと気付いた私。今まで「家族」の大切さを繰り返し学びながら、「また家族か、はいはい」と聞き流していたのです。それが、結婚した子供たちやその伴侶、親族も、私にとっての家族と知って大反省でした。親として子供たち家族を側面から支えつつ、いいお手本を見せる。巡り合えた人たちとの縁を深める。やるべきことが見えた今、ますます心を磨いていきます。
心で生きる人間は
「仕合せ」心に感じるほどに
「生きる」力が湧きいでるもの
「仕合せ」は
人 物との「縁」深めるほどに
感謝心が芽吹き 広がり
生きる力となるのである
「仕合せ」は 和のある家庭に育つ感動
『真実の光・神示 平成19年版』181ページ(中略あり)