No. 1402

“奇跡”の回復を遂げた母
支えとなった家族の一丸性
(宮城県YY/60代女性/無職)

「きょうはこんな出会いがあってね…」。デイサービスでの出来事を楽しそうに話す母。「こういう話をしていたら、相手の方が笑顔を見せてくれたの!」。生き生きとした様子が、私もうれしくてたまりません。でもまさか、86歳になって、これほど元気に過ごせるなんて…。あの時は思いもしませんでした。 

思いを「言葉」にする大切さ

入院中だった父に続くように、母が心筋梗塞で救急搬送されたのは、数年前のことでした。AEDを装着された姿に、「自分には何もできない」と限界を感じた私。でも、教えが支えになりました。「病には、家族が心を重ねて向き合うこと」。医師が手を尽くしてくれている。では、私は? すぐに気持ちが切り替わり、離れて住む兄弟や叔母に連絡。みんなが駆け付けてくれる中、母は一命を取り留めたのです。 

しかし、10回以上も心肺停止を繰り返したため、「命があっても、寝たきりか認知症」とも言われました。それでも不安にのまれなかったのは、家族で声を掛け合っていたからです。思えば、信者となる以前、私はこれが苦手でした。「みんながいいなら…」と、言葉をのみ込んでしまうのです。それが、思いを伝え合う大切さを学ぶうちに、少しずつ兄弟と話す機会が増えて、本音も伝えられるように。家族と心が通う、心地よさを味わいました。 

だからこそ、延命治療について判断を求められた時も、叔母たちの協力の下、父も交えて話し合い。実は、「母はそれを望んでいない」と、みんなが承知していました。でも、思いを言葉にすることで、家族全員の心がさらに重なって、母を支える力となったのです。「延命治療は望まない」けれど、「私たちはまだまだ母と一緒にいたいです」。そう医師に伝えると、不思議と“思い”が届いた感覚が。「分かりました。治療に全力を尽くします」。心強い言葉とともに、母はまた、命の峠を越えることができました。 

身近に偉光会館があればこそ

その後、医師から、「これは奇跡です。神の領域です」と、驚かれるほどの回復を遂げた母。退院後は、90歳を超えて急速に衰えた父を、玉納奉寿(葬儀)で送ることもできました。父の穏やかな終日と、母の奇跡の復活。それがかなったのは、兄弟や叔母たちと、心を重ねて向き合えたからこそ。そして、何にも代え難い安心感で、私たちの心を守り、包んでくださった偉光会館あればこそ…。本当に感謝しかありません。 

3月10日は宮城偉光会館の「新生式」。この感謝を胸に、「自分にできることでお返ししたい」と、決意を深くしています。

神示を家族で学び
   「真理」を家庭に生かしてごらん
 自然と家族の思いが重なり
           まとまってゆく
 ますます「運命」の力が
  家族の人生を
    迷いなきもの(時代)へと
             導いてゆく
運命の力が重なり 補い合う家庭に
    仕合せな人生が歩めるのである

『真実の光・神示 平成27年版』14ページ(中略あり)