家庭で安心感を味わったことが、一度もありません。忙しい両親に代わって、妹弟の面倒を見るのは私の役目。「この子たちは私が守る」いつしか、そんな強い思いが、大きくなっていきました。
その結果、心身ともに限界となり、19歳で自律神経失調症を発症、うつ状態に。崖から突き落とされたようでした。もう家族の役に立てない…。生きる気力を失いそうな私の心。ただ一つ頼りにできたのが、神の存在でした。教会に足を運び、教えを学ぶ。その繰り返しの中で、私は少しずつ元気を取り戻し、やりがいを持って働けるまでになったのです。
「寄り添う」が私のテーマに
そんな矢先のことでした。弟が5階から転落。奇跡的に一命を取り留めましたが、脳に障害が残り、目も失明。食べることも、歩くこともできなくなりました。両親が他界し、弟を支えられるのは私しかいない…。再び出てきた「私が守らなくては…」の思い。その心を変えた転機が、教務相談でした。姉としての関わり方がある…と聞いて、見えてきたのは、「親のように接してきた私」。「こうしなきゃ」ばかりで、「心に寄り添う」。これが全くできていなかったことに気付いたのです。
施設に入所している弟は、たんの吸引も、体のケアも嫌がり、ヘルパーさんを困らせてばかり。今までの私なら、きっと一方的に注意していたでしょう。“姉としての関わり”を意識して、弟の心に寄り添ってみたのです。「皆さん、あなたのためにやってくれてるんだよ。でも、つらいよね…」「うん」。私の言葉を素直に受け止めてくれました。「苦しいときは、『苦しい』って言える?」「うん」。そうやって関わる中、弟は自分からケアを受けるように。さらには、ヘルパーさんに面白い話をしたり、感謝を伝えたりと、見違えるように変わったのです。
神に守られている絶対的な自信
今では、皆さんにかわいがられて、施設の方から、「私たち、弟さんに元気をいっぱいもらっているんです」と言われるまでになっています。
ある時、弟が笑顔で言いました。「神様に心を守られているのを感じるよ」「今が一番仕合せ」。「うれしいことは何?」と尋ねたら、「お姉ちゃんの声が聞けることかな」。「それでいいの?」「いいんだよ」。このやりとりが、私は忘れられません。
以前は「灰色」だった私の毎日。でも、今は、弟と会って話をする。その中で、「家族と過ごす」ことに、安心感を覚えるようになっています。周りの支えを頂きながら、これからも、家族と縁を深めていきたい。こんな心で過ごせる日々に、「大きい」という言葉では言い表せないほどのご守護を感じています。
「教え」を学び 「真理」に生きる努力を欠いてはいけない
「心の姿」に映るまで 「分」に重なる「心」を求めて 祈願を重ねる
自然と家族に思い(愛情)が向かい 会話も深まる
「教え」に悟りを深めることで
「希望の光」が通り 「和のある家庭」の姿(真実)を 家族の心は開眼してゆく
「教え」を学び
「真理」に生きる努力を
欠いてはいけない
「心の姿」に映るまで
「分」に重なる「心」を求めて
祈願を重ねる
自然と家族に思い(愛情)が向かい
会話も深まる
「教え」に悟りを深めることで
「希望の光」が通り
「和のある家庭」の姿(真実)を
家族の心は開眼してゆく
『真実の光・神示 令和3年版』115ページ(中略あり)