実の父に会ったことはありません。生まれた時から母と二人暮らしでしたが、私が小学4年生の時に、母が再婚。義父はとても優しい人で、やがて弟を授かりました。
弟優先の日々に募る寂しさ
11歳年下の弟は、かわいくて仕方ありません。それなのに、私の心には寂しさが募っていきました。子育てで忙しい母に、「保護者活動ができないから…」と言われ、私はやりたい部活ができなかったことも…。友達は普通にできることが、私にはできない。我慢ばかりでした。
その状況は、私が社会人になっても変わりません。ある日、弟が宿泊学習でいなかったので、久しぶりに母と食事でも…と思い、誘ってみました。でも、「学校から連絡があるかもしれないから」と断られたのです。
まただ…。「この年になっても、私が我慢することばっかり!」「いったんは私の気持ちを受け止めてよ!」。感情的に言った私に、母は「仕方ないじゃない」といつものひと言。これまでにも、たびたびこういう言い合いをしてきた私たち親子でした。
母への関わり方を変えてみると
なぜ同じことを繰り返してしまうのか。祈願で神に思いを打ち明ける中で見えてきた、苦しさの理由。「友達の家は…」と人と比べると苦しい。「もっとこうしてほしい」と、母に求めると苦しい。そうした私自身の思いの強さが、苦しさを生んでいたのです。
いつも「友輝会」で学んでいるように、自分の気持ちを、素直に母に話してみようと思いました。祈願で冷静な心になっていたからか、穏やかに話せて、母もうなずきながら、私の思いを受け止めてくれたのです。「お母さんも、あなたと同じくらいの頃、同じことで悩んでいたよ」という話もしてくれました。
ゆとりが生んだたくさんの喜び
その後、母に誘われて、近所のドラッグストアへ。温泉気分が味わえる入浴剤などを一緒に選びました。仕事で疲れている私を喜ばせようとする、母なりの愛が伝わってきて、涙が出そうになりました。ずっと弟と自分を比べては、母に文句タラタラでしたが、「母は、私のことも一生懸命育ててくれたんだろうな」と感じたのです。
その日の夕食は、家族の思い出話に花が咲きました。中学生の頃、いじめられてつらかった時、家に帰るとかわいい弟の存在に、毎日毎日元気づけられたものです。いろいろ思い出していたら、家族みんなに「私の家族でいてくれてありがとう!」。そんな気持ちでいっぱいになりました。
それ以来、母と感情的に言い合うことはなくなりました。心にゆとりが出てきたのか、仕事でも、相手の気持ちや状況を、以前より深く考えている私がいます。神の教えがあると、こんな喜びを味わえるんだな、こんなふうに自分が変われるんだな。「神の教えってすごい!」と実感しています。
「教え」を学び 家(家庭)の姿(真実)知って 「真理」で家族に触れる努力をする
自然と家族との関わりが深まり 家族を思う気持ちが強くなる
この思いの強さが 真実の愛を育み 奉仕に生きる人を育てる
真の生きがいは 家族に愛され 育った人には 自然と芽吹くもの
人・物との出会い 触れ合いを深め 愛心で結ばれたときに 真の生きがいが生まれる
「教え」を学び
家(家庭)の姿(真実)を知って
「真理」で家族に触れる努力をする
自然と家族との関わりが深まり
家族を思う気持ちが強くなる
この思いの強さが 真実の愛を育み
奉仕に生きる人を育てる
真の生きがいは
家族に愛され 育った人には
自然と芽吹くもの
人・物との出会い 触れ合いを深め
愛心で結ばれたときに
真の生きがいが生まれる
『真実の光・神示 令和4年版』112ページ