No. 1322

「正義感の強さ」が
欠点として出なくなった!
(大分県HH/30代女性)

昨年、職場で人事異動があり、責任者になりました。所属員は、私より年齢も経験値も上の方ばかり。おまけに勤務地は、実家のある静岡から遠く離れた大分…。不安と怖さでいっぱいでした。

身近な人の言葉に気付きが

神の教えから、「今できることを誠実にやろう」「自分の持ち味を生かそう」と心を奮い立たせて臨む毎日。ところが、私の良さだったはずの「正義感の強さ」が、欠点となって出始めたのです。 

部下に「ここをこうすれば、もっと良くなりますよ!」などと一生懸命伝えても、何となく通じ合えない感覚。先頭を走って、振り返ったら誰もいないような、何とも言えない孤独感がありました。 

母に相談すると、「人に積極的に関われるのは、あなたの持ち味。でも、それを相手に求めては苦しくないかな」と。教会の職員からは、「仕事は全員野球!」「植物も鉢が変われば、また根を張る。成長できる機会ですよ」と言われ、目の前が開けた思いでした。 

「全員野球」をかなえるために

「全員野球」。私は、その意味を少し捉え違いしていました。みんなで同じことを、同じように頑張ること…と。一人一人良さもあれば、苦手な部分もある。だから、みんなで「支え、補い合う」。その感覚が欠けていたのです。 

神の教えが、今の私に必要なものを教えてくれました。それは「包容力」。相手に「こうしてください」と言うばかりでは、追い詰められた気持ちになるかもしれない。まずは話をよく聞いて、「やってみよう」と思える言い方ができるように…と祈願していきました。 

部下に、「○○さんはこういう良さがあるので、これをお願いできますか?」と伝えると、前は「自信がなくて…」と言っていたのに、「分かりました!」と二つ返事。私から頼ったり、意見を求めたり、時には「教えてください」と尋ねたり。そうするうちに、惜しみなく関わってくれる皆さんの姿が見えてきて、感謝が膨らみました。 

「来てくれて良かった」と…

まさかの転勤、まさかの責任者。以前の私なら、何かに行き詰まると、泣いて落ち込む一方でしたが、今は全然違います。神の教えで修正点をつかんで、「自分のここが良くなかった。気付けたのだから、明日から切り替えよう」と、即祈願。すると、一人一人が心を開いて話してくれたり、支えられている部分に気付いたり。その後に見える景色が全く違ってくるのです。 

最近、みんなで仕事をしていて感じる「一体感」。「あなたが来てくれて良かった」「安心感がある」「気持ちを引き出すように関わってくれて、ありがたい」などと言ってもらい、本当にうれしいです。持ち前の正義感も、悪い方ではなく、良い方に生かされている実感。神の教えが、私の心の幅を大きく広げてくれています。

仕事とは 人 物 全ての存在が 重なり合って生み出す力(環境)をいう
「教え」を人生の支えにして 関わりを深める努力をする
 自然と互いの運命が重なり 補い合って 調和して「生きる」環境を生む
 そこに 仕事の成果も大きく上がり 家族 縁者 友人 知人の心も重なり合って
    喜び多く 生きがいにあふれた人生を歩んでゆける

仕事とは
  人 物 全ての存在が
    重なり合って生み出す
          力(環境)をいう
「教え」を人生の支えにして
      関わりを深める努力をする
 自然と互いの運命が
      重なり 補い合って
    調和して「生きる」環境を生む
 そこに 仕事の成果も大きく上がり
  家族 縁者 友人 知人の心も
           重なり合って
   喜び多く
     生きがいにあふれた人生を
            歩んでゆける

『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』15ページ(中略あり)