No. 1246

夫婦仲は悪くないけれど…
奥底にある寂しさが消えて
(北海道YM/60代女性/主婦)

夫婦のもめ事もなく、子供とも仲良く過ごす我が家は「大丈夫」と高をくくっておりました。でも、本当は、神の教えから大きくずれていることも分かっていたのです。

夫は、大変なことがあっても弱音を一切吐かず、一人で解決。そんなところを尊敬していたのも事実ですが、本音はとても寂しかったです。その不満を伝えると、夫は「そうだなあ。俺が悪い」。けんかにもならない代わりに、心からの信頼感も生まれませんでした。

周りからは、「優しいご主人で、仲が良くてお仕合せですね」と言われるので、「ハイ、ありがとうございます」と返事。心の中では「違いますよ」と思いながら…。

つかめた! 神の教えの実践

ことしに入り、「信者心の基勉強会 実践編」で学んだ時のこと。「ご主人に対して愛はありますか?」「関心を寄せていますか?」「上から目線になっていませんか?」などなど、耳の痛い内容。「全部私のことです。トホホ…」と苦笑いでした。私は変わりたい。夫と一緒に仕合せになりたいと心から思いました。

まず取り組んだのは、会話です。とはいえ、45年積み重ねてきた日々がすぐ改善できるはずもなく…。ふと、以前、娘から「父ちゃんの言いたいことはこうじゃないの? 分かってあげて」と言われてショックを受けたことを思い出しました。

私と夫とは、表現の仕方にずれがあるのです。例えば、私が満開の桜を見て「きれいだねえ」と言うと、夫は「後ろの山もきれいだねえ」。私は心の中で「あー、そっちかい」…。でも、こういう時こそ会話。よく聞くと、夫は、桜も山もきれい、と思っているのです。このように夫の思いを知ろうと、会話を続けていくうちに、「この人はこんな表現をするんだ、こう感じていたのか…」と徐々に理解できるようになってきました。

まさに、娘に言われたとおりだったのです。私は自分の考えを押し付けていただけ。夫の優しさ、強さ、懐の深さを思うことなく、見下していたのです。自分の我の強さを思い知りました。そこから、自分の性格の修正に向けて、より一層、意識して、祈願しながら取り組みました。

我が家に巡ってきた「心の春」

先日、夫が体調を崩し、数日寝込んでしまいました。冷却シートや飲み物を準備して、妻らしく介抱しながら、ふと思い出した若かりし頃。「夫がへんとう腺炎で寝込んだあの時も、愛情こもった介抱ができていたなあ」と振り返りながら、当時と同じ心になっている自分がいました。「夫婦ってこういうことだな…」と感じ、神に感謝しました。

私の中に芽生えた、夫を「いとおしい」と思う心。恥ずかしいですが、自分でもビックリです。夫とは、「今生の人生を、一緒に生きていきたいね。子孫繁栄を果たしたいね」とよく話しています。結婚して45年、70歳を前にしてようやく私たち夫婦に巡ってきた、「心の春」。言葉では言い表せないほどの大奇跡に、喜び満開です。

――家族で「教え」を学び 「真理」のある家庭を 家族でつくる――
 外見ではなく 内面の関わりを深めて いよいよ互いの運命が重なる
自らの実体を高めることに思いを込めて 真剣に「教え」を学ぶ
 信者の心に気付きが芽生え 家族と関わる姿が見えてくる
 互いの運命を重ねる真実が見えて
    今ある悩みは 神の手の中 「心」守られ 救われてゆく

――家族で「教え」を学び
   「真理」のある家庭を
          家族でつくる――
 外見ではなく 内面の関わりを深めて
     いよいよ互いの運命が重なる
自らの実体を高めることに
    思いを込めて
        真剣に「教え」を学ぶ
 信者の心に気付きが芽生え
     家族と関わる姿が見えてくる
 互いの運命を重ねる真実が見えて
  今ある悩みは 神の手の中
     「心」守られ 救われてゆく

『真実の光・神示 平成30年版』86ページ(中略あり)