No. 1206

高齢の母との暮らしが苦痛
ふとしたところに仕合せが
(佐賀県YT/60代女性/無職)

幼い頃から、姉や弟ばかりかわいがっていた母。83歳になり、要介護の状態です。その母と二人きりの生活は、まるで罰ゲームのようにさえ感じる毎日でした。

教えとは違うと分かっていても

母は47歳で脳梗塞を発症し、まひが残っています。昔は身の回りのことをどうにかできていたのですが、年を重ねるごとに不自由さが増していきました。今や普通の行動が取れず、会話もほとんどありません。「これくらいやっておいてくれてもいいじゃない!」「お通夜じゃないんだから、何かしゃべったら? 神様は会話が大事って言われてるよ」。私のイライラはピークに達し、神の教えとは違うと分かっていても、距離を置いた方がいい…と思うようになりました。

神示を読むと「家庭」「家族」と頻繁に出てきますが、私の心には素直に入ってこなかったです。それでも、神示に触れるのをやめる、ということだけはしなかった私。心の底には、この苦しさから救われたい。本当は母と仲良くしたい。そんな思いがあったのです。

母に寄り添う心が生まれて

ことしに入り、母が骨折してからは、さらに見守りが必要になりました。ある日、アルバムを見ていた母が何かをつぶやいています。その小さな声を、聞こう、聞こうとしている私がいたのです。

どうやら母の気に入らない写真が貼ってあったようです。しかも、母の頭の中では息子と孫の名前がごっちゃになっていて、おなかを抱えて大笑い。家でこんなに笑ったのは、いつぶりでしょう。この日が我が家を変えたきっかけ。「2人でいるのは罰ゲーム」の日々が変わっていきました。

時間的な余裕は減っても心は…

今、私が冗談を言うと、母からも冗談が返ってきます。具合が悪くなってからは、そんなおちゃめな面は見せなかったのですが、もともと明るい母です。「そうだ、こんなところもあったな」「あんなところも…」と次々思い出しました。

あれほどやりたくなかった母の世話を、普通にしている自分が不思議でなりません。物忘れをする母にイラッとすることはあっても、受け入れられています。介護で時間的な余裕は少なくなったのに、心にはゆとりが生まれているのです。

母が歩んできた人生は、決して平坦(へいたん)ではありません。若くして脳梗塞になり、体も動かしづらく、どれほど苦しい思いをしてきたか…。その母が今、ニコニコと過ごす姿を見ると、私の心には温かな思いが込み上げてきます。母は仕合せを感じているのかな、それならうれしいな…と。そんなふうに思えるほど、私の心は変わったのです。今、変われて良かった。信者で本当に良かった…。心から感謝が込み上げてきます。

「道」の真理に生きるなら 人は誰も 神の手の中導かれ 楽しい人生歩み抜ける
 家族それぞれ 立場わきまえ 声掛け合って 生活すること
介護――家族の心 支え 補い合って 心の負担は生まれない
 いついつまでも 家族の心 神の手の中守られて 健康に暮らしてゆけるのである

「道」の真理に生きるなら
  人は誰も 神の手の中導かれ
        楽しい人生歩み抜ける
 家族それぞれ 立場わきまえ
     声掛け合って 生活すること
介護――家族の心 支え 補い合って
        心の負担は生まれない
 いついつまでも
  家族の心 神の手の中守られて
    健康に暮らしてゆけるのである

『真実の光・神示 平成19年版』111ページ(中略あり)