幼い頃から、「人にどう思われるだろう」という性格コンプレックスがありました。人付き合いを全く拒否していたわけではありませんが、自分から輪の中に入っていくのは苦手です。誰かが悪口を言えば、その場の雰囲気に合わせて同調して…。本当はこんな自分が嫌で、いつも葛藤していました。人間関係はつらくて、苦しいもの。「生きていたってしょうがない」と思ったことさえありました。
つらい出来事から大きく成長
22歳の時、父の勧めで始めた茶道。先生は幼い頃からの顔見知りで、安心して通えました。やがて、お茶会などで、他の先生や生徒さんとも顔見知りに…。ある時、厳しいと有名な先生から、皆さんの前で理由も分からず、怒鳴られたのです。
驚きとショックで涙が止まりません。「怒られるようなことはしていないのに…どうして?」この時はいつも以上に、神の教えを真剣に学び、自分を見詰めました。
自分の尺度では、「この方にとって一番いい」と思ってやったこと。「相手にとっては迷惑なこともあるのかな?」と、尺度に幅が出てきました。私は相手のことを考えているようで、考えていなかったのだと、自分の姿が見えました。
生き方がどんどん変わる
「ここは余計かもしれない」とか、「ここは手伝おう」などと、出るべきところ、引くべきところが、少しずつつかめる感覚がありました。気が付くと、何と自分の中に「苦手」と思う人がいなくなっているのです。周りにいる人も、置かれている環境も、何も変わらないのに…。生きる世界が変わったかのように、楽に生きられていたのです。
私も先生という立場になり、人間関係も広がりました。しかし今は、「人にどう思われるか」という思いにはなりません。悪口が飛び交っていても、「でも、あの人のこういうところはすごいよね」と、真っさらな心で相手を見て、自分の思いを伝えられています。
今の自分を好きになれて…
それはきっと、「明るく、強い心の自分になりたい」と祈願を重ねてきたからだと思います。周りがどうであれ、自分が「嫌」という心で接しなければ、相手からは嫌われないことも実感しています。
「複雑」と感じていた人間関係。今は「シンプル」と思います。人との出会いを楽しみ、人の喜びを、自分のことのように喜べる…、こんな感覚、昔の私にはなかったです。180度変われた今の自分が大好きで、信者だったからこそ…と、自然と笑みがこぼれます。「神の教えの裏には、本物の神がいる」ことを強く体感しています。
「生き方」「感じ方」は 神の教えにあるゆえ
一つ一つ学んで 身に付けるのがよろしい
祈願を通し 神に願えば 心素直になって 心に入る
「生き方」が豊かになれるのである
「純な心」が引き出され 人 物との出会い全てが 我の人生支える力となる
「感じ方」が 広く 明るくなるのである
「生き方」「感じ方」は
神の教えにあるゆえ
一つ一つ学んで
身に付けるのがよろしい
祈願を通し 神に願えば
心素直になって 心に入る
「生き方」が豊かになれるのである
「純な心」が引き出され
人 物との出会い全てが
我の人生支える力となる
「感じ方」が
広く 明るくなるのである
『真実の光・神示 平成17年版』95ページ