No. 1115

乗り越えた親子の確執
恨みつらみが消えた理由
(福島県MY/40代女性/主婦)

忘れもしない、小学3年生の春。始業式の日、母が脳疾患で旅立ちました。まだ44歳。その日から、父と二人きりの人生が始まったのです。 

私をかわいがってくれた母と違い、父は、趣味の釣りが高じ、家庭は全く顧みない人でした。しかも、家は男が継ぐもの、娘は役に立たないという考えです。「たった1人の子供が、娘だなんてみっともない。俺は不幸だ」と何度嘆かれたことでしょう。次第に、憎しみが募っていきました。 

何のための人生だったの?

大人になった私は、祖父を見送り、祖母の看病も1人で担いました。その祖母をみとった後、父が認知症になり、要介護2と診断されたのです。「私の人生は、看病と介護のためだけにあるの?」。今度はやるせなさが込み上げてきました。 

その状況が一変したのが、東日本大震災。要介護の父と、避難所生活を余儀なくされたのです。感情的になる父。負担と不安で押しつぶされそうな私。神示が、何よりの心の支えになりました。読むたびに「家庭の大切さ」が胸に響いて…。そういえば…と思い出したことがありました。 

父との日々を振り返ると

父も6歳で実母を亡くし、寂しい子供時代を送ったそうです。再婚したい思いもあったようですが、母が大好きだった私は、「勝手にすれば。その代わり、私は家を出るから」と言い捨てました。だからなのか分かりませんが、父は再婚することもなく、「出て行け」と言うこともなく…。それどころか、私が「音楽を聞きたい」と言えば、ちょっといい機械を買ってくれたりしました。それも、父なりの愛情表現だったのかなあと、ふっと感じたのです。 

何より私は、そんな父を嫌いではなくて、「愛していきたい」。自分でも見えなかった本心が見えてきました。 

「愛する心」になれた奇跡

避難所で出会ったのが、後に夫となる男性です。夫が父と私の間に入ってくれたこともあり、親子の時間が少しずつ心地よいものへと変わっていきました。震災から1年半後、再建した自宅に戻り、結婚。やっと自分主体の人生が歩める…と思った時、夫の大腸がんが判明。その後に前立腺がん。夫は信者籍を置き、夫婦二人三脚で乗り越えることができました。その出来事を通して、ハッと気付いたのです。 

母が亡くなった年齢を超えた私が、健康で過ごせている感謝。母はどれほど無念だったでしょう。そして、残された父は、幼い私と2人でどれほど不安だったか…。そこにも思いをはせていました。「お父さん、ありがとう」。憎しみが流れていきました。 

施設に入所している父に会いに行くと、ニコニコ迎えてくれます。ふと昔のつらい日々を思い出すこともありますが、夫に「今の親父さん見てみろ。穏やかで、施設の中で、人気者で」と言われ、本当だなと心が救われます。神を知らなければ、確実に破綻していた父との関係です。「親を愛する自分」になれた喜びを深く、深く感じています。

神の教え「真理」に生きて 人は皆 悔いなき人生手にできる
「信者の道」を歩むところに
    人は誰も和心芽吹き始めて 「仕合せ」引き出す家を手にできる
 親子は寄り添い 思いをつなぐ
 時(時代)流れ 世代を超えて 我が家の姿(人生) 心の道に受け継がれてゆく

神の教え「真理」に生きて
   人は皆 悔いなき人生手にできる
「信者の道」を歩むところに
  人は誰も和心芽吹き始めて
    「仕合せ」引き出す家を
             手にできる
 親子は寄り添い 思いをつなぐ
 時(時代)流れ 世代を超えて
    我が家の姿(人生)
      心の道に受け継がれてゆく

『真実の光・神示 平成21年版』108ページ(中略あり)