両親と弟、私の4人家族。その中で一番のムードメーカーだった母の介護が始まったのは、9年ほど前からです。トイレに一人で行けなくなり、車椅子になり…、認知機能も少しずつ衰えていきました。去年の夏には、食事が取れなくなって緊急入院。オンライン面会で目にしたのは、様変わりした母の姿でした。「あー」「うー」と言うばかりで反応がなく、切なさが胸いっぱいに込み上げました。
家族の意見が割れても…
その後、母の状態が落ち着き、医師から療養病院への転院を勧められました。自宅介護という選択もナシではありません。「お母さんを家に帰してあげたい」と父に話すと、「点滴しているのに、家で介護するのは無理がある」と言われたのです。
転院か自宅介護か。どう結論を出せばよいのか。思い起こせば、母は入院前から食欲がなかったのに、好きでもないバナナだけは一生懸命食べていました。「お母さんは、それだけ家にいたかったんじゃないかな」。私は、その思いを父に伝えていなかったことに気付き、話してみました。
「母を思う気持ち」は、父も一緒でした。「家に帰してあげよう」と、気持ちがスッと重なったのです。仕事が忙しい弟も、「休日は協力するよ」と言ってくれ、3人の心がガチッと重なった気がしました。
母の生命力が引き出されて
我が家に戻った母は、話はできずとも、顔は穏やかでした。点滴の交換やたんの吸引は神経を使うので、祈願、祈願、祈願…。私たち家族がガチガチだと、それが母に伝わり、家でくつろげないだろうと思ったからです。
不思議なもので、「おむつ交換するね」と声を掛けると、母からは「うんうん」と反応が! 「おはよう」や「おやすみ」などの短い言葉なら、返してくれるようにもなったのです。リハビリの先生が、「のどにチューブが入っているから、話すのはつらいはずなのに、お母さんはよく声が出ますね」と驚いていました。そして、日に日に表情まで出てきたのです。
父が母の顔をのぞき込み、「いい顔しているな」と言って笑いました。家中が温かい雰囲気に包まれて、家族っていいなと心から感じました。
今、心が守られている実感
それからしばらくたった昨年末、母は亡くなりました。家族3人になったら、お互いの悪いところが目に付き始めましたが、今までの私とは違っていました。神の教えを学んで、受け止めよう、温かい言葉で接しようとする心が育っていたのです。弟とも、「お父さんを支えていこうね」と話し合っています。
母が亡くなったら…と想像すると、落ち込み、ふさぎ込む自分ばかりが思い浮かんでいましたが、実際は、穏やかに受け止めている私がいます。神に心を守っていただいて、家族みんなで悔いなくみとれたことに感謝でいっぱいです。
「家庭」――人が悔いなき人生を歩みきるため 欠くことならぬ環境
信者は 家庭の真実「真理」を知って
「真理」に生きる家庭を 今こそ築く努力をする時
「教え」が家族の心を一つに重ね 支え 補い合って「生きる」心(愛情)を強くする
「真実の愛」に生きて 人間は 天命を全うできるのである
「家庭」――
人が悔いなき人生を歩みきるため
欠くことならぬ環境
信者は
家庭の真実「真理」を知って
「真理」に生きる家庭を
今こそ築く努力をする時
「教え」が家族の心を一つに重ね
支え 補い合って
「生きる」心(愛情)を強くする
「真実の愛」に生きて
人間は 天命を全うできるのである
『真実の光・神示 令和2年版』15ページ