No. 1921

定年した夫にいらついた私
心が重なり合えたのは…

(宮崎県MO/60代女性/パート) 

夫は仕事一筋だった人。営業の鬼で、朝から晩まで働いていました。ところが、定年退職した後は、仕事の量を減らし、週に数日働くだけ。家でだらだら過ごす姿を見るたびに、イライラが募る一方でした。 

思いがかみ合わなかった二人

振り返ってみると、家のことも、子育ても、全部、私一人で担ってきました。相談したくても、夫は家にいません。甘えられないまま、「夫はこういう人だから…」で、全て済ませてきたように思います。いざという時に頼れない寂しさ、つらさを抱え、ずっときゅうきゅうとしてきたのです。 

そもそも、私たちは真逆のタイプ。街中に出掛けるのが好きで、おしゃれにしていたい夫に対し、私は自然が好き。着る物なんて、破れていなければいい感覚。誕生日に洋服を贈られても、心は少しも満たされません。「服は要らない」と言ったら、お金をくれたこともありました。夫なりの愛情表現と分かっても、本当に欲しかったのは、「いつもありがとう」のたったひと言。いまひとつ、思いがかみ合わない二人でした。 

自分のズレが見えたら…

「このままではいけない」と、神示を学んでいくと、自分の感覚のズレが見えてきました。「だらだらしないで!」「私にもっと心をかけてほしい」。和のある家庭の大切さを学んでいながら、夫を思いやるどころか、求めてばかりいたのです。夫はもう70代後半。長年、家族のために、どれほど働いてくれたことか…。それなのに、感謝も薄く、責める心の強い私でした。偉光会館で職員から、「ご主人が生きがいを持てるといいですね」と言われ、ハッとしたのです。 

人生は有限。夫といられる時間にも限りがある。そう考えた時に思いました。「もっと分かり合いたい」「そのためにも話をしよう」と。それまでの会話と言えば、「ご飯だよ」「うん」「○○したよ」「そう」で終わり。私自身、言葉が足りなかったと思います。だから、「○○したよ」だけでなく、「楽しかったよ」「今度は一緒に行けたら」などと“思い”も伝えていきました。「実はあの時、寂しかったんだ」ということも…。その場では無反応のようでも、“思い”は確かに届いたと感じます。 

夫の長所が見えるように

近頃は、夫も、仕事のことをはじめ、いろいろな話をするようになりました。会話の途中で、「俺が悪かったな」などと言うこともあり、心の距離がぐっと近づいた気がします。気付いたら、責める思いがすっかり消え、夫の良いところばかりが思い浮かびます。何かと相談するのが当たり前になり、一緒に洋服を買いに行くことも、「今度は自然いっぱいの場所へ」と誘われることも増えました。仕方なくやっていた料理も、洗濯も、夫に喜んでもらいたい一心でしている私がいます。 

「体を大事にしてね」「一緒に長生きしよう」と、当然のように、夫に語り掛けている私。心の通い合う夫婦になることを諦めなくて、本当に良かった。自分の心一つで、毎日がこんなに変わるんだと感動でいっぱいです。子供たちからも、「二人とも、180度変わったね」と驚かれています。これからもっと生き方を高め、夫婦で生きがいのある毎日を積み重ねていきます。 

神の教えを学び
  「教え」を通して
    我が「心」を見詰めるのである
 自然と我が「心の動き」安定し
   全ての出会いを「悟り」と返す
              我となる
 我が「家」の会話が深まり 広がり
  我が「家族」の心がつながってゆく

(平成22年1月19日)