(東京都MM/60代女性/事務職)
30年ほど前、家事と育児と仕事に追われて精神的に耐え切れなくなり、パニック障害を発症。一人で外出すると過呼吸に襲われるため、誰かに付き添ってもらわないと、どこにも行けなくなりました。何より寂しかったのは、私のつらさを家族に分かってもらえないこと。亡き夫の会社を一緒に守ってきた息子とは、会話すらろくにできません。頭ごなしにきつく言われ、穏やかに話すことなどなかったのです。
自分の姿が見えるほど
この状況をどうしても変えたい。その一心で神の教えを学んでいると、ある気付きが。息子がやることなすことに、口を出し過ぎていたこと。仲の良い親子になりたいと願いながら、しっかり向き合おうとせず、当たり障りのない関わりばかり。自分の姿が見えるほど、変わらなくてはいけないのは“私自身”だと思いました。
気持ちを入れ替えて学んだ時、心に響いたのが年代別の生き方。60歳以降のキーワードは「見守る心」とあり、“子供のやることや思いを受け入れていこう”と意識しました。息子が仕事の愚痴をこぼした時、「そんなことがあったのね」と受け止めて、「誠実にやっているから大丈夫じゃない?」と優しく一押し。体調が悪そうなときに、「薬は?」「病院へ」と言えば「分かってる」となるはず。それを察して、おかゆを作るなど、息子の体を思って母としてできることをしていきました。
心が通い合っていく実感が
ある日、息子の知人がパニック障害と判明。その症状を聞いた息子から、「お母さん、今までつらかったんだね」と言われたのです。私のことを理解してくれた…、それだけでうれしくて、息子に思いを伝えました。「つらかったけれど、今まで支えてくれたから頑張れたんだよ。ありがとう」と。聞いたことのない言葉を耳にしたせいか、「どうした?」と笑っていました。本音を言えない私が、初めて素直に思いを語れた、大きな一歩でした。
息子の思いを受け止め、自分の気持ちも伝える。時に言い合いになっても、「話せるのはあなただけだから」と穏やかに話すと、きちんと聞いてくれます。私が夜、一人になるときは、息子から「寝る前に連絡して」と優しい言葉を掛けてくれることも。「お母さんみたいな頑張り屋さんはいないよ」と褒められた時は、涙がこぼれました。
穏やかな家庭から全てが好転
本音を話せて、冗談を言って笑い合える親子になれるなんて、以前からは考えられません。追い込まれ、つらさに耐えてきた私の心は、全て流れて、今は何の不安もなく、ゆったりと安定。そんな心になれたら、不思議なことに、パニック障害の症状がほとんど出なくなりました。
一人で外出でき、少し距離のあった妹とは旅行にも。親子関係が良好になったら、体調が良くなり、人との縁も深まって…と、いいことずくめです。身内をはじめ、縁のある方々との出会いを大切に、楽しめたらいいなと思います。そのためにも、相手の思いを受け止められるゆとりある心を、もっと育んでいきます。



――「教え」に生きて
我が「心」を神に預ける――
自然と心の動き安定し
今なすべきことに思いが向かう
――我が任 立場を知って
「和心」芽吹く家庭を求めて
家族に触れる――
心(気持ち)が重なり合うほど
真の健康を味わえるのである
『真実の光・神示 平成26年版』104ページ(中略あり)


