(長崎県TA/60代女性/パート)
お酒に酔った夫ほど、怖いものはなかったです。日頃は口にしないのですが、お酒の席では酩酊(めいてい)するまで飲み続けます。すると、仕事の疲れが出るのか、ひどく不機嫌に。「そのくらいで…」と伝えれば、「何でか!」と怒鳴られ、手が出ました。とっさに押し殺した怒りや恐怖はなかなか消えず、後日ささいなことで言い合いに。そうなると、お互い何日も口を利きません。根は優しい人なのに。夫のことが大切なのに…。気持ちが行き詰まっていた頃、教会の話を聞きました。
掛け替えのない存在が見えて
半信半疑ながら偉光会館を訪ねると、神の教えが温かく染みて、涙があふれたことを覚えています。私に続いて、「俺も仕合せになりたい」と夫も信者に。夫婦の関わりが変わったのは、それからしばらく後のことでした。ある時、何でも相談してきた私の親友が逝去してしまったのです。精神的な支えを失って、行き場のない寂しさは募るばかり…。何度も神に訴える中で、ハッとしました。「私には夫がいてくれる」。心が大きく動き始めた瞬間でした。
「心」を変えた一編の神示
ちょうどその頃、一編の神示と出会いました。
命の尊さ 生ある今の喜びを
心の芯から悟れる「我」を
目指してごらん
『真実の光・神示 平成16年版』40ページ
命には限りがある。だから、今、「“夫と一緒に”仕合せになりたい」。そうした思いで学ぶうちに、自分のクセが見えてきました。感情をパッと口にする一方、後になって「言い過ぎた…」とクヨクヨ。この会話から変えよう。もっと夫の気持ちを大切に、思いが伝わるやりとりを…と思いました。
次第に、外出の際など、ただ「行こう」と言っていたのが、「一緒に行きたいんだ」と言葉にできるように。「俺はいい」と言っていた夫も、「じゃあ行くか」。そうして一緒に出掛ける時間が、楽しくてたまりません。夫も、「みそ汁が本当においしい」「ありがとう」。何かにつけて言葉にしてくれます。いつの間にか、お酒の場に出掛けても、酩酊することは全くなくなっていました。
二人でさらなる前進を目指して
あれほど嫌で、怖かったお酒。けれど今では、どちらからともなく誘い合い、夫婦で楽しくいただいています。時にけんかをしても、翌日には必ず「おはよう!」。天と地ほども変わった私たちです。でも、まだまだこれから。先日は、ふと「私、頑張ってきたな。神に守られているな…」と感じた思いを、とっさに夫に伝えていました。「本当、頑張ってるよね。守られてるね」の言葉に、グッと心が軽くなりました。私たちには、もっと語り合えることがある。それを、これからも見つけていきます。
人間は 家庭に 生まれ 育って
人生を歩み抜く
家族の出会い
特別な関わりに 気付くべし
家族で「教え」を学び
「真理」で関わる努力が必要
この気付きが
家族の心を一つに重ね
「人生」を高め 守る力となる
(令和7年1月23日 『友輪』344号12ページ〈中略あり〉)