教会図書で気付いた自分の課題
勉強会が休講となり、家で教会図書を読んでいると、数年前の自分の姿が浮かんできて、ドキッとしました。
それは、今は亡き義母が入院した時、「そろそろ病院に行っとかんと…」と、仕方なく見舞っていた姿です。「何て冷たい心だったんだろう」学べば学ぶほどそう感じ、わびる気持ちを神に語っていました。
そんな中、孫の通う学校が休校に。一日中、孫が家にいると思うと、正直ため息が出ました。なぜなら、最近、ゲームばかりで、その姿にイライラする自分が想像できたからです。
心配は的中。ゲームに明け暮れ、注意するとふてくされる孫に、ため息といら立ちばかりでした。「冷たい心を反省したばかりなのに、これではいけない」と、再び教会図書を手にしたのです。
心から尽くせる祖母になりたい
「今こそ、娘や孫に心から尽くせる自分になろう」「そうしないと、孫たちに喜んでもらえるはずがない」と神に語り、心を整えました。すると、ひらめいたのです。「ゲームをやめさせるのではなく、何かを一緒にしようと誘ってみよう」と。
「カレー作るんやけど、一緒に作ろう」と孫に言うと、「うん」と素直な返事。「ここ片付けよるんよ。一緒にやってくれん?」「いいよ」孫は、ゲーム機をすんなり閉じて、そばに来ました。何てかわいいこと。「きょうは、何を一緒にやろうかしら」と、毎日が楽しくなりました。
身近な所から自分は変えられる
これまで、神の教えで「自分が変わると、相手が変わる」と何度も学んでいましたが、大きなことをイメージして、「無理」と思う自分がいました。でも、できることは身近にたくさんあって、その積み重ねで変わっていけると、今は思います。
神示にある「豊かな心が、我が身を救う」まさに、そのとおりだと痛感した出来事でした。