No. 1530

親子の会話が滑らかに
思いを伝える大切さを実感

(京都府YT/50代男性/会社員) 

仕合せに欠かせない「和のある家庭」。会話があって、家族の心が重なっていて、気持ちが休まる家庭の姿。何度も、神の教えで学んできたことです。でも、それを意識し始めたのはつい最近でした。 

なぜかぶつかる母とのやりとり 

朝早く出勤し、帰宅するのは夜遅くなってから。職場は楽しく、仕事にやりがいを感じているものの、家に帰ったら、食事をして寝るだけ。父を見送り、二人暮らしになった私と母との間に、会話らしい会話はほぼありません。それどころか、疲れきって食欲もないのに、たくさんのおかずが並んでいると、「こんなに要らんわ。何でこんないっぱい買ってくるんや」。悪気はないけれど、思いやりを欠いた言葉がぽろり。「もう買ってこんわ。自分で買ってきな」容赦なく言い返され、ドタドタと2階へ。そんなやりとりをしていたのです。 

「こけたらあかんで出掛けん方がええ」。気に掛けたつもりのひと言も、「そこまでボケてないわ」と返ってきて、けんかになってしまう…。なぜかうまくいかない親子の会話。それでも、出張先から「大丈夫かあ」と電話をしたりするうちに、少しずつ会話のキャッチボールができるようになっていったのです。 

心が通い合う安心感を味わって 

「晩ご飯、用意してくれてありがとう。でも、きょうはサラダだけでええわ。油物は胃がもたれて寝れんから明日食べるわ」「あそこは行かん方がええ。心配やで言うとんや」「雨が降っていて危ないさかい、俺が買ってくるわ」。母を思う「心」を言葉にすると、ちゃんと伝わるのです。「無理せんで」「ありがとう」「気い付けて」。母の返事も変わりました。 

いつの間にか、職場の話をすることも増えました。「家族は何でも話すこと。思いを共有すること」。そう学んではいても、以前は、「心配を掛けてもいけないし、いちいち言わんでもいいわ。言ってもきっと分からへんし、聞いてくれんし」と思っていたのです。でも、「そうかあ」と聞いてもらい、「まあ、いろいろあるわなー」と言ってもらうだけで、何だか心が落ち着くから不思議です。 

お互いが元気になる会話を 

最近は、毎朝、母と一緒に神示を読むのが日課になりました。そのうち、電波時計から教会歌「希望の光」のメロディーが流れてきて、二人で神にご挨拶。清らかな気持ちで出勤します。「行ってきます」「行ってらっしゃい」。当たり前ですが、けんかして出掛けるのとは全く違う、爽やかな朝のスタート。知り合いから、「表情が明るくなった!」と言われました。 

子供の頃、けがの多かった私を愛情深く育ててくれた母。今も、朝4時でも、5時でも、夜どんなに遅くても、必ず見送り、出迎えてくれます。一緒に過ごせる掛け替えのない時間を大切に、お互いの心が元気になるやりとりを、きょうもたくさんしていきます。 

家族で「教え」を学び
    日々の事物を
      折有るごとに語り合う
            家庭をつくる
 自然と「真理」が
     家族の心に見えてきて
   会話は弾み 愛(信頼)が深まる
 「真理」が
  家族の心(気持ち)を一つに重ね
   愛(愛情)を育む会話が生まれる
――仕合せの基は和のある家庭――
 互いの心が一つにまとまり
          重なる家庭に
         運命は磨かれてゆく

『真実の光・神示 令和2年版』158ページ(中略あり)