(神奈川県KA/60代女性)
父が若くして亡くなったのは、今から40年ほど前のことでした。心臓の検査における、医師の判断ミスが原因です。震える声で謝罪した若い医師。「告訴はしません」と返しながらも、涙に暮れていた母の姿を覚えています。
泣くことさえできなかった当時。強い喪失感に襲われ、「母を守らなきゃ」と思うようになりました。それでも、神の館に足を運ぶうちに、かたくなだった心が少しずつ変わっていったのです。明魂祭(後日の葬儀)の後には、母や姉と「父の思いを受け継ごうね」と、素直に語り合うこともできました。しかし、病院の名前を聞くと、心の奥底が冷える。その感覚だけは、どうしても拭い去れませんでした。
「生きる」力が枯れない姿に
そのような私の「心」を、神はどこまでも救おうとしてくださいました。きっかけは数年前、神経の難病を患う義兄のために、姉夫婦が実家に戻ってきたことです。多系統萎縮症という義兄の病は、治療法が確立していないばかりか、医療従事者による日常的な支援を必要とします。難しい条件の中、前向きに受け入れてくれたのが、あの時の病院でした。
“今”に思いを向ける母や姉に、もう迷いはありませんでした。私も最初こそ戸惑ったものの、家族の話を重ねて聞くうちに、深く納得していったのです。日々実家を訪れる医療スタッフは、昔の出来事など知りません。とにかく誠実にサポートしてくださり、その的確な判断で、義兄が一命を取り留めたことも。私が帰省すると、母は明るい表情で「出会いは不思議だね」「神の愛を感じる」などと話します。
姉の献身的な支えと、母の励まし、スタッフの力添えを頂いて、義兄の心には、常に「頑張ろう」という意欲が。先日は車椅子に乗って、念願の神総本部参拝がかなったのです。家族で内参道を進む義兄の目は輝き、言葉には出せずとも、喜びがあふれていたと聞きました。医師が「考えられないことが起きている」と言う、まさに奇跡の姿。私の心の奥に残った傷は、気が付いたら静かに消えていました。
全てが感謝に変わる不思議
今年93歳になる母は、何でもおいしくいただき、体操教室では仲間と大笑いして過ごしています。恨む思いも、悔いる気持ちもなく、「愛をかけてもらってありがたいね」などと話す声は穏やかです。その言葉に、本心から「本当だね」と返せる今が、どれほど仕合せか…。少し前には、そんな私たちを見た親戚が、「身内の誰より仕合せそうだね」と言ってくれました。
人生という道のりの途中で、いろいろなことが起こっても、神と歩んでいれば、最後は必ず「良かった」と思える事実。全部が感謝に変わっていく奇跡に、実在する神と生きる醍醐味(だいごみ)を、心の底から味わっています。