No. 665

愛の心で見送れた父の最期
恨みつらみが消える奇跡
(神奈川県YS/40代女性/保育士)

今春、父が突然、心の世界に旅立ちました。「お父さん、ありがとうね」と悔いなく見送れた私の心。不思議と温かな感謝の思いに包まれていました。私をよく知る友人から、「よくそんな心になれたね」と言われるほど、大きな心の変化でした。

解きほぐれた責める思い

“お父さん”のイメージとは、懸け離れていた父。一緒に暮らしたこともなく、幼い頃から、父が勝手に作った借金だの何だのに追われる毎日。生活は苦しく、生きた心地もしませんでした。

やがて父母は離婚したものの、正義感の強い私の口癖は、「あの人さえいなければ」になっていました。それでも、私や家族が生きてこられたのは、神がいたからです。神に訴え、どれほどつらい気持ちを救っていただいたか知れません。神の深い愛が心の支えとなり、大人になるにつれ、父親うんぬんでなく、「自分の人生を大切に歩もう」と思い始めたのです。

さらに、神の教えは、かたくなだった私の心を少しずつ解きほぐしてくれました。どんな親でも、親は親。父母がいるから私がいる…。結婚式にも、自然と「お父さんに出席してほしい」と思いました。父も喜んで参列してくれたのです。夫も私の気持ちを理解し、父を大切にしてくれ、感謝しかありません。父は、私たちの様子を見て、「いい人に巡り合えて安心」と言っていました。

「良い父」と思うほど心が変化

その後、最愛の母が亡くなりました。母に頬擦りしながら、おいおい泣いていた父。父なりに、いろいろな思いがあったんだなとしみじみ感じました。それ以来、時々会って話したり、妹も誘って食事をしたり…。私と似ているところがたくさんあり、話も合い、親子なんだなとつくづく思いました。大変なことは山ほどありましたが、「良い父」だったと感じます。

神の教えがあったからこそ、父と向き合えた15年。「心ってこんなに変わるのか」と自分でも驚くばかりです。父は、夜、布団に入って、そのまま亡くなったようです。眠るような最期でした。

生前かわいがってもらった娘は、明魂祭の後、「じーじは神様の所に行って安心したんだね。よかったよね」と言っていました。娘の目には、最後まで「優しいじーじ」と映っていたのです。もし神を知らず、正しい生き方が分からず、父を責めたままだったなら、娘が父を好きになることはなかったでしょう。代を超えて責める心を引きずり、不幸な家系にするところでした。

亡くなっても色あせない姿

過去の出来事は変えられなくても、神のおかげで恨みつらみを乗り越え、打たれ強さを頂き、全てが人生の糧になっています。妹も同じ気持ちのようで、父の悪行は全て笑い話です。思い出すのは、困っている人を放っておけない優しい姿や、にこにこと笑っている姿ばかり。食卓でも、「じーじ、これ好きだったよね」などと話題に上がり、その存在は少しも色あせません。

私はずっと、自分が絶壁に咲くたんぽぽのような気がしていました。確かなことは、たとえ今すぐ崩れそうな絶壁にいても、花を付け、綿毛を飛ばせるという事実。神と生きる人生の尊さに、ただただ感謝しかありません。

神示で確認 「喜び」の仕組み

「教え」を学び 家族との関わりを深める努力をする
 自然と「教え」の意味が見えてきて 「人生」なすべきことが鮮明になってゆく
人が「生きる」真の生きがい 家族の愛を感じて「生きる」真の喜び
 有限の時代を「生きる」 今なればこそ味わえる 尊き体験が 「人生」にはある
 良き因を「心の道」に残し 「開運」をかなえる人の歩みが ここにある

『真実の光・神示 令和2年版』106ページ(中略あり)

神示で確認 「喜び」の仕組み

「教え」を学び
  家族との関わりを深める努力をする
 自然と「教え」の意味が見えてきて
  「人生」なすべきことが
    鮮明になってゆく
人が「生きる」真の生きがい
  家族の愛を感じて「生きる」
    真の喜び
 有限の時代を「生きる」
  今なればこそ味わえる 尊き体験が
    「人生」にはある
 良き因を「心の道」に残し
    「開運」をかなえる人の歩みが
      ここにある

『真実の光・神示 令和2年版』106ページ(中略あり)