私は、小学生を対象とした塾の講師をしています。子供相手の大変さはあっても、先輩方に囲まれて、楽しく勤めてきました。
環境の変化でゆとりを欠いて
平穏な毎日に大きな変化が訪れたのは、昨年のこと。講師の入れ替えがあり、いきなり一番の古参になってしまったのです。
しかも、全員が私より年上で、連携一つ取るにも気を遣い、少しずつ心の余裕がなくなっていきました。そうなると、人の言動が目に付いて、「何でこうしてくれないの…」と心の中で責めたり、「私がしっかりしなければ…」と気負ったり。仕事を頑張れるようにと神に祈願していても、どんどんゆとりをなくしていくのが、自分でも分かるほどでした。
神を頼って軽やかな心に
「これではまずい」と神の館に駆け込み、ご神前で、いっぱいいっぱいの胸の内を神に語り掛けていると、ふっと肩の力が抜けました。「何もかも一人でしょい込んで、一人で頑張ろうとしていたんだ」と気付いたのです。
気持ちが楽になり、職場でも必要以上に気を張ることがなくなりました。「こうしてほしいのに…」と悶々としていないで、一緒に取り組んでもらえるように自分から声を掛ける。冷静になったら簡単なことも、自分の性格が邪魔をして、不満を募らせてしまう恐ろしさ。神の教えを通して、思いどおりにならない「心」の不思議を学んでいながら、神を頼りもせず、自分の心を、自分の力で何とかしようともがいていたことが分かりました。
それからは、年下だからこそ、丁寧な言葉で、相手が受け止めてくれる言い方を心掛け、皆さんを頼っていきました。すると、周りの人たちの態度も変わり、仕事もスムーズに回り始めました。気が付いたら、気軽に話せるようになり、職場全体の雰囲気も、明るく柔らかいものになっていたのです。
当初、あれだけ不安だった心が、今はとても軽やかです。今回のことで、「人は一人で生きてはいけない」と身をもって知りました。自分の心の幅を広げてもらえたことに、感謝でいっぱいです。