「お母さん、今度生まれ変わっても親子になりたい」。まさか娘からこんな言葉を聞けるとは、夢にも思いませんでした。
娘にはいつも反発され、心がすれ違ってばかり。社会人になったのを機に、家を出て行ったほどでした。
同居の申し出に気が重く…
それから十数年後、夫が亡くなった時のことです。娘が「一緒に住むよ」と心配してくれたのです。
でも、気が重く、正直嫌でした。親子仲良くと頭では分かっていても、「うちは無理」と決め付けてしまう、もどかしい思いを神に訴え続けました。いつしか、「一緒に住もうと言ってくれる、娘の心を大事にしよう」と気持ちが変わり、同居を始めました。
いざ一緒に暮らすと、娘は、何かと反発してきます。私も言い返しては、「やっぱり一緒に住まなきゃよかった」とため息をつく生活でした。
「娘は磨き粉」と思えるように
「気の合う人とだけ、付き合っていては成長しません」。勉強会でのひと言にハッとしました。「娘は私を磨いてくれる宝」と思ったのです。
そういう心で向き合っているうちに、我が子に嫌な思いをさせたのは、私の愛のない冷たい心。それなのに、「何でこの子は」と責めるばかりだったと気付きました。
それ以来、「子供の良さを引き出せる親になりたい」と神に願いました。自然と心が穏やかになり、「娘が悪いんじゃない。産んで育てたのは私じゃないか」と、思いが治まっていきました。
まさかこんな日がくるなんて
私が変わると、娘の心も和らぎ、お互いにイライラしなくなりました。そればかりか、「こんなに思いやりのある子だったんだ」と、良さがどんどん見えてきたのです。
今では、娘は仕事から帰ると、その日にあったことを、早く聞いてと言わんばかりに話してくれます。二人で食事をしながら、何でも語り合い、冗談を言っては、大きな声で笑い合う毎日です。
たまにギクシャクしても、「おっと危ない。のみ込まれないぞ」と、神に思いを語ると、すぐに流れます。引きずることがなくなりました。
「磨き子ちゃん、ありがとう」
どんな人とも重なり合えると教えていただくように、教えに生きれば、必ず仕合せ、安心感を得られるのを実感しました。
我を張り合っても、苦しいだけ。お互いがハッピーで悔いなく人生を送れる。こんな仕合せはありません。娘がいたから、親としての心を磨き、成長できました。今ある仕合せに感謝でいっぱいです。