義父の強い希望で始まった、家族7人の同居生活。義父は短気な面があり、義母や夫と言い争うこともありました。私は、嫁として自分なりに気配りをしてきたつもりでした。
ところが、ある時、義父に怒鳴られたのです。「どうして私が?」「しょせん同居なんて無理だったんだ」と、涙があふれました。それからしばらくは、話し掛けられても返事くらいしかできず、心に刺さったとげは、なかなか抜けませんでした。
「変わるのは自分!」と気付いて
そんなある日、義母に「お父さんががんかもしれない」と言われました。まさかと思いましたが、現実でした。がんは肺から脳へと転移し、手の施しようのない状態だったのです。
「このまま別れの日が来たら、悔いが残る。私が変わらなければ!」自分で積み上げた心の壁が崩れていきました。「心通い合う家族になりたい」と神に願い、少しずつ、自然に会話できるようになりました。
桜が満開になったある春の日、私は「体調はどう?」と義父に尋ね、義母も誘って車で花見に出掛けました。
穏やかな最後のお花見
桜のトンネルになった土手を、3人でドライブです。「あんな所にも、こんな所にも咲いてる。きれいだな」と、義父は喜んでいました。
二人の笑顔を背中に感じながら、そっと窓を開けました。ひらひらと花びらが舞って入ってきます。私は、できるだけゆっくり車を走らせました。込み上げる涙をこらえながら…。この時間が少しでも長く続くように…。
義父の「義」の字が取れた瞬間でした。「本当の家族になれた」そう思えたのです。それからは、周りの人に、「娘さんですか?」と聞かれたほど、実の親子のような日々を過ごせました。
父が安心する仲良し家族に
父は、次の年の桜を見ることはかないませんでした。
教会葬儀で見送った翌日、父の夢を見ました。「ありがとうな」と言ってくれて、心が通い合った喜びでいっぱいになりました。「仕合せの基は、和のある家庭」と、神の教えで学んでいたからこそ、悔いのないお別れができました。
今、父は、私の心に生き続けています。自然と「お父さんならどうするだろう?」と考え、「こうしたけどよかった?」と、心の中で語り掛けている私がいます。
父の魂が安心していられるように、ますます家族仲良く暮らしてまいります。