No. 1252

病続きの夫と歩む
奇跡続きの二人の人生
(新潟県NA/50代女性/会社員)

日曜の夜になると顔色が悪くなり、「仕事に行きたくない」と言い出す夫。思いをあまり語らない人で、「どうしたの?」と聞いても、答えはありません。逃げるようにお酒を飲む夫に、「そんなに飲んだら体に悪いよ」と言いながらも、気持ちを考えると、強く止めることができない私…。ある日、ついに夫は倒れました。

何かあっても大事にならない

「うつ病かもしれない」と、二人で心療内科へ行き、通院が始まりました。夫も信者となり、「無理せずに、一緒に治していこうね」と声を掛けていきました。
「来られるときだけでもいいから」「いつでも戻ってきて」という、勤め先のご厚意がありがたかったです。しかし、ほとんど出勤できず、半年後に退職。体調は一向に良くならず、大きな病院で検査を受けたところ、パーキンソン病と判明したのです。

本当の原因が分かり、神のご守護を感じてはいても、相変わらず大酒飲みな夫。私に隠れて飲み続ける日々です。さらにこの頃から、突然意識を失って倒れることが頻繁に起こったのです。ある時は、階段の途中で意識を失いましたが、たまたま義母と義姉が来ていて、とっさに支えてくれ、助かりました。洗面台の角に頭をぶつけたこともあります。それでも、いつも大事には至らず、ぎりぎりのところで助かるのです。今思い返しても、命があることが不思議なくらい、生きた心地のしない毎日でした。その一方で、「神に守られている」と、夫婦で心底実感していたのです。

極め付きが脳梗塞でしたが、これも、まひが残ることもなく退院。こうして、何かあるたびに、少しずつ神との絆を深めて、一つ一つ乗り越えてきた夫は、ついにお酒をやめました。

二人で学んできて見えたもの

自分たちは仲のいい夫婦だと、思っていました。でも、神の教えで言うように、本当の意味で、お互いを思い合う会話はできていなかったと思います。10歳差のある夫と私は、趣味もばらばら。休みの日に、外に出掛けたいタイプの私と、家でゆっくりしたい夫。どちらも互いに合わせることなく、擦れ違っては口げんか。私たち夫婦は、全く違う方向に生きてきたのです。

夫と神の教えを学びながら、たくさんの病と奇跡を経験しました。そして今、私たち夫婦は、常に二人で出掛け、会話をしよう、相手を思いやる心遣いを…と、意識して過ごしています。夫婦で学んでいるからこそ、こうして同じ気持ちで一緒に努力ができる。家族で神の教えを共有する価値を心底感じます。パーキンソン病であっても、つえを使って歩くことができ、たまにゆっくり自転車にも乗っています。

偉光会館で学び、「家族の大切さにすごく気付いた」と言う夫。「これからも二人で仲良く暮らしていきたいね」「長生きしてほしい」と伝えると、「俺も頑張るわ」。表情が乏しくなる病ですが、にこっと最高の笑顔を返してくれます。

和心育つ家庭を求めて 「真理」に生きてごらん
 自然と 家族の心は 寄り添い 重なり合って 支えて「生きる」心が育ってゆく
 家族の触れ合いを通し 心の不安 迷いは治まるのである
神に思いを預け 日々「真理」に生きる心が強くなるほど
    心の動きは安定し 「生きる」希望が持てる

和心育つ家庭を求めて
       「真理」に生きてごらん
 自然と 家族の心は
  寄り添い 重なり合って
   支えて「生きる」心が育ってゆく
 家族の触れ合いを通し
   心の不安 迷いは治まるのである
神に思いを預け
 日々「真理」に生きる心が
        強くなるほど
  心の動きは安定し
       「生きる」希望が持てる

『真実の光・神示 平成25年版』89ページ(中略あり)