物心がついた時から「お父さんは嫌い」。かわいがられた記憶なし。「おまえはバカだ」「ひねくれている」と感情的に怒鳴られ、母もかばってくれず、切なかった…。親の心が病弱な弟たちばかりに向いていることは、子供ながらに分かりました。家に私の居場所はなく、学校では自分の意見を言うとクラス全員に無視され、人が離れていくつらさを味わっていたのです。
夢中で学んで、祈願して…
就職してからもそれは変わらず、まるで鼻つまみ者。その頃、信者になりました。夢中で神の教えを学び、「人の長所を見ていけるように」「自分にできることを精いっぱいやれるように」…。必死で祈願しました。だんだん職場に自分の居場所ができてきて、神の実在を肌で感じたのです。
私の変化に、両親は気付いていました。「いい子になった」と喜び、2人そろって信者籍を置いたのです。しかし、そう簡単に親子の溝は埋まりません。父が経営する会社で働き始めると言い争いが増え、見かねた夫が私をたしなめる…、そんなこともありました。
「親にしてみれば…」と考えると
ある時、私は、父自身が親のことを懐かしそうに感謝で語るのを聞いたことがない…と気付きました。そして母もまた、「実父が『嫌い』だった」と。私も両親と同じような道を歩んでいる! この心の流れを断ち切りたくて、より一層、真剣に神の教えを学んでいきました。
父に何か言われて感情的になる私。「親にしてみれば…?」。「扱いにくい娘」「手に負えない子」だったはず。その時、私の中には初めて「悪かったな」という感情が芽生えていました。
しばらくして母が入院。父の世話をするために、実家に行く機会が増えました。その時、私は父への「嫌い」の感情がなくなっていることに気付いたのです! 今までなら、「誰が世話してやるものか」くらいの気持ちになってもおかしくないのに…。一人になって寂しそうな父に、「何が食べたい?」「どんなことしたい?」と話し掛けていた自分が、本当に不思議でした。
その後、父はぼうこうがんと心臓の手術を乗り越え、今も治療中です。最近は「通院はおまえと一緒がいい」と言ってくれるようになり、ビックリしました。足腰が弱り、歩くときは、自然と父が手を差し出し、私もまた自然とその手を取っています。父のぬくもりを感じながら、私の気持ちはただただ「長生きしてね」それだけです。
「初めての言葉」を伝え合って
先日は、父の86歳の誕生日。私が生まれた頃のアルバムを見せると、「かわいいな」。初めて言われた気がします。娘として認識してくれたうれしさはひとしおで、涙が出そうになりました。「お父さんの娘で良かったよ」。私も初めて言えました。本当にうれしかったです。
両親とは、あとどれくらい一緒に過ごせるか分かりませんが、一時一時を大切に。温かく、優しく、笑顔で過ごせるように。神が、長い時間をかけて修正してくださったこの心を磨いていきたいと思います。
家庭の価値(真理)をよくよく悟り
「教え」に生きて 家族の関わりを深める努力が必要
「教え」が家族の心を一つに重ね 補い 支え合って「生きる」家庭をつくる
「真理」で触れ合うほど 人間は 互いの実体を高め合う心(愛心)が芽吹く
実体は修正され 運命の力は磨かれ 心(魂)休まる家(家庭)となってゆく
家庭の価値(真理)をよくよく悟り
「教え」に生きて
家族の関わりを深める努力が必要
「教え」が家族の心を一つに重ね
補い 支え合って「生きる」
家庭をつくる
「真理」で触れ合うほど
人間は
互いの実体を高め合う心(愛心)が
芽吹く
実体は修正され 運命の力は磨かれ
心(魂)休まる家(家庭)と
なってゆく
『真実の光・神示 令和2年版』60ページ(中略あり)