「けんかが日常」の家庭で育った私たち4姉妹。農家の娘だった母は、高齢の親に代わって馬車馬のように働き、婿入りした父は、農業だけでは食べていけない…と、保険の外交にいそしむ毎日。両親は常に言い争っていました。
神の教えで気付いた「冷たさ」
長女の私は、母の手伝いは当たり前。ただ、その厳しさといったら鬼のようで、「私は機械じゃない!」と、何度反発したか知れません。親に褒められた記憶も、話を聞いてもらった覚えもなく、ただただ募る寂しさ…。そんな時、唯一の味方だった祖母が他界。結婚を考えていた方とはお別れ。絶望感でいっぱいだった私に、知人が神のことを教えてくれました。
教えを学ぶ中で、分かってきたことがあります。他の家がうらやましくて、「何でうちはこんななの!」と思う心。「私、冷たいかな?」と感じるようになったのです。
必死だった親の姿が見えて
2人の妹は結婚し、やがて父が亡くなり、もう一人の妹と母の三人暮らしになった我が家。ふと両親の思いを見詰めてみました。どれほど苦労してきたのだろう。「父と母のおかげで私たちがいるんだな」。そんな思いが、初めて心によぎったのです。
思えば、2人はいつも必死で働いていました。「私にはとてもできないこと」。それなのに、何てひどい感じ方をしていたのだろう…。「親を大事にしよう」と心底決意した瞬間でした。
自然と感じた母の温かさ
母に「猫だって、ニャンって鳴いて家に入ってくるよ」と言われた時、「挨拶もしない、こういうところが冷たいんだな」と強く実感しました。急には優しい言葉を掛けることはできないけれど、そうなりたい気持ちを祈願していきました。
今年95歳になる母は、体力はだいぶ落ちましたが、まだまだしっかり者。時間があれば、私や妹が若い頃に着ていたシャツを使ってハワイアン調の座布団カバーを作るなど、物を最後まで大事にします。そんな母に「いつもありがとう」と言うと、「サンキュ、サンキュ」と返ってきました。妹が食事を作ったときなども、手をすりすりしながらそう言っています。私と同じで照れ屋な母。その母の精いっぱいの表現…と思ったら、心からいとおしくなりました。
感じ方が変わると全てが仕合せ
「茶豆の種、ま~だ植えてないんか?」と母に言われた時、「ほんとだ。よく見ててくれてありがとう」。私の感じ方が変わると、「文句ばっかりの母」ではなく、「とても爽やかでかわいい母」です。
母と妹と私、毎日、朝夕一緒に祈願していると、「ありがたい、ありがたい」「もったいねえことでございます」と、母のかすかな声が聞こえてきます。それを聞いてほっこりする私。お嫁に行けなかった寂しい人生…ではなく、親とこんなに長く一緒に過ごせる人生も何て仕合せ! そんな心の変化を味わっています。
――我が家族を受け入れる――
悔いなき人生 手にする人の心(姿)が ここにある
家族を愛し 家族を頼り 共に声掛け 支えて人生歩む
「神の教え」を学び 我が心(人生)に生かすなら
人は誰も 家族に思い(心)を向けるもの
――仕合せの基は 和のある家庭――
この一言「真理」に 「開運」かなえる心の真理(姿)がある
――我が家族を受け入れる――
悔いなき人生 手にする
人の心(姿)が ここにある
家族を愛し 家族を頼り
共に声掛け 支えて人生歩む
「神の教え」を学び
我が心(人生)に生かすなら
人は誰も
家族に思い(心)を向けるもの
――仕合せの基は 和のある家庭――
この一言「真理」に
「開運」かなえる
心の真理(姿)がある
『真実の光・神示 平成28年版』34ページ