47年前、新婚当初の夫は家具職人で、絵に描いたような職人気質。昭和感満載で、人と関わって話をするのが下手でした。
でも、心はとても温かい人です。子供の頃、親から「おまえはバカだ」と言われ続けていたのに、恨むことなく、大事にする姿。それを見た時、「私が夫を大切にしよう」と思ったのです。
意思疎通ができない苦しみ
ところが現実は、私が夫に「おまえはバカだ」などとストレートに言われ、傷ついたことも…。おまけに夫は右耳が遠く、かみ合わない…どころか、意思疎通ができません。思い合っているはずなのに、擦れ違うばかりの間柄。何となく「こうかな」と察しながら、夫に合わせていました。
毎日が「我慢」という生活。夫のことは好きなのに、心は寂しい…。この神を知ったのは、その頃です。当時の私たちは、列車で言うなら、夫は前の車両にいて、私はずっと後ろ。そんな感覚でした。「夫の隣に立って生きていきたい」と願って信者になったのです。
少しずつ心の距離は縮まっても
夫も信者になってくれ、2人で教えを学ぶように。自分で言うのもなんですが、私は勘が良い方で、人より0.5歩早く行動します。夫は、耳のせいもあって、0.5歩遅れます。その時にできてしまう心の「ズレ」。夫に話し掛けた後、少し時間を置いて返事を待ってみるなど、私が少しテンポを合わせてみようと思いました。すると、私が作ったご飯を、「うまかったな!」と食べてくれるように。でも、いつも同じ言葉…。「うれしいけれど、少し寂しい」が、私の本音でした。
生きている今、味わえた仕合せ
ある時、「生まれ変わっても一緒になりたい」と夫に言うと、「嫌だ」と言われてしまったのです。それは、夫自身のコンプレックスからくる言葉でした。読み書きが苦手な夫は、私が手伝うことで、「自分は駄目だ」という思いを募らせていたのです。
私は、「そのままのあなたといるのが、仕合せなんだよ。黙って私の話を聞いてくれて、そばにいてくれて」と言いました。夫のことを何十年も大事に思っていても、こんなふうに「本音を伝える会話」はできていなかったのかもしれません。
最近の我が家の食卓。夫は冗談を言いながら、「うまい!」とご飯を食べてくれます。そして先日、2人で神示カレンダーを見ていた時、「生まれ変わっても一緒になろうな」と言ってくれたのです! その瞬間、「私、もう何も要らない」と思いました。生きている間にその言葉を聞けたことが、何物にも代え難いほどうれしくて…。信者になった時に願った「夫の隣に立って生きていきたい」がかなった瞬間でした。
あと3年で迎える結婚50年の節目。その日を2人で楽しみに待っています。この神に巡り合えて、本当に仕合せです。
家族とのつながりは 「教え」のある家庭には 自然と会話が増えて 深まって行く
相手の気持ちを受け止め 我が思いを重ねて言葉を返す
この繰り返しに 絆が生まれる
家族とのつながりは
「教え」のある家庭には
自然と会話が増えて 深まって行く
相手の気持ちを受け止め
我が思いを重ねて言葉を返す
この繰り返しに 絆が生まれる
『真実の光・神示 平成30年版』144ページ