No. 1151

「親の老い」を感じても
切なくならない心の不思議
(神奈川県HN/40代女性/専門学校講師)

今年、めでたくそろって後期高齢者となる両親との暮らし。元気で、仕事も続けていますが、後ろ姿に年を取ったな…と思うことも多くなりました。そして、「若い頃はこんなでなかった…」という両親の発言。小さなところですが、2人の不安感や自信のなさを、じんわり感じていたのです。 

心の隙が生まれていた?

両親には、本当に愛情をかけてもらってきた分、最後までちゃんと恩返しがしたい。とはいえ、まだまだ元気な両親。「手を出し過ぎず、できるだけ見守ろう」その心を日々、祈願しながら生活していました。 

気付かないうちに、心身ともに疲労がたまっていたのでしょう。フィッシング詐欺に引っ掛かってしまったのです。普段ならあり得ない、不用意な行動を取った自分がショックで…。落ち込む私に、母が神示教会に行くことを提案してくれました。 

いつまでたっても変わらぬ立場 

教務相談を受けようと頭の中を整理しながら祈願するうち、はたと気付かされました。今の私が不安なのは、両親のことではない。「私自身」だと。そして、いつも両親がつくってくれていた「安心な空間」。そのおかげで、家に帰ると私の心は安らいでいたのです。 

いつまでたっても親は親、子は子。年を取ったからといって、その立場は変わるものではないことも実感。やっと気付いて恥ずかしくなりながらも、心がぐっと軽くなりました。 

年を重ねたからこそ深まる感謝 

両親は、私に「○○をしてほしい」とは言いません。それに甘えて何もしないのではなく、声を掛けながら「できる範囲で、できることを」。不思議とそれは、職場でも応用できました。「私がそこまでやることではないな」などと見極められて、細かなことに左右されないのです。 

何をするわけではなくても、私は、気負い過ぎる生き方をしてきたのだと思います。母が「あなたは昔から『やんなきゃ』と頑張り過ぎるから」と言ってくれたひと言が、心に染みました。そんな話をしているそばで、父もにこやか。両親は、私の心を支えてくれる偉大な存在です。掛け替えのない父と母が、私に「一緒にいるだけでいい」と言ってくれることが仕合せです。 

神の教えは宝物。親の愛情も、安心できる家庭環境も宝物。アトピーを繰り返していた私ですが、最近、体調はすこぶる良く、家でも職場でも、とにかく生きがいを感じています。

実体を正すために 信者は家族で「教え」を学び
    家庭の中での立場と任 それぞれの「あるべき姿」を知って
      正しい関わりを深めることが必要
「家庭」――人が悔いなき人生を歩みきるため 欠くことならぬ環境
 「教え」が家族の心を一つに重ね 支え 補い合って「生きる」心(愛情)を強くする

実体を正すために
 信者は家族で「教え」を学び
  家庭の中での立場と任
   それぞれの「あるべき姿」を
              知って
   正しい関わりを深めることが必要
「家庭」――
  人が悔いなき人生を歩みきるため
         欠くことならぬ環境
 「教え」が家族の心を一つに重ね
   支え 補い合って
      「生きる」心(愛情)を
              強くする

『真実の光・神示 令和2年版』15ページ(中略あり)