37年前に信者になり、初めて神の教えを学んだ時の衝撃といったら…、今も忘れることができません。神が見ておられるのは「心」。むしろ、心しかご覧になっていない…と知り、恥ずかしくなりました。というのも、私の心の中など、とても褒められる状態ではなかったのです。
人からは評価されても…
当時は、女性の総合職が珍しかった時代。私は昇級試験に合格し、総合職として生き生きと働いていました。上司とも若手の社員とも円満な関係。しかし、それは表面上。心の中では、不平、不満が爆発していたのです。
人からは評価されても、神からご覧になれば…。汚い心を変えたくて、真剣に教えを学ぶ中、徐々に変化がありました。「頼れない上司」を、「おおらかで朗らかな上司」と感じる心が生まれてきたのです。
初めて見えてきた親心
変化は、家の中にも表れました。父は、寡黙、神経質、短気…。そして「無関心」。叱られたことがない代わりに、褒められたこともありません。母に「お父さんは、私のこと、かわいいのかな?」と聞いたこともあります。「そうだよ」と言われても、とてもそうは思えませんでした。
そんな中で、母ががんを発症。その時、隠れて涙を拭う父の姿を、偶然見てしまいました。いえ、あえて神が見せてくださったのかもしれません。やっぱり優しいお父さん。実直で、勤勉で…。私の心が解けていく感覚がありました。
父は、独り身の私を案じて、いろいろ母に話していたそうです。愛情表現は苦手だったのかもしれないけれど、心の中では愛してくれていた。見えなかった親心に気付ける自分に変わっていったのです。
心が変わった奇跡を実感
母亡き後、1人で暮らす父が心配で、週末は実家に帰り、一緒に晩酌をするようになりました。謡曲教室を開いていた父は、うれしそうにその話をします。意外なほど多くの人とのつながりがあって、驚きました。「人に慕われているお父さん、すごいな」。尊敬の思いが込み上げてきました。
その父も体調を崩すことが増え、入退院に付き添いました。もっと支えになれればと、介護の短大に社会人入学。父は、その3日後に亡くなりました。卒業後は、介護福祉士の資格を取り、現在は訪問介護の仕事をしています。
今、仕事で出会う方々を、身内のように大切に感じます。帰路に就きながら、私にできることは…と考えているうちに、涙が出ることもあります。どうしてこんなに人のことを思えるのでしょう。そんな自分が不思議です。37年前は、肩書や形にとらわれていた心。相手を思う心へと変わってきたことを、うれしく感じるきょうこの頃です。
神の教えを我が心に生かせよ
生かすほどに 我が「人生」 生き方が変わる
感じ方 見え方が変わるゆえに 人 物との出会いが深まり
喜び多く 楽しいもの(人生)へと変わるのである
神の教えを我が心に生かせよ
生かすほどに
我が「人生」 生き方が変わる
感じ方 見え方が変わるゆえに
人 物との出会いが深まり
喜び多く 楽しいもの(人生)へと
変わるのである
『真実の光・神示 平成21年版』112ページ