(福井県YT/60代女性/会社員)
「ああ、私は一人なんや」。ことしの2月、夫が入院している時、寂しさが心に染みました。
「ただいま」と声を掛けても返事がない。食事も一人。いつもそばにいてくれた夫がいない…。この数年、不整脈で入退院を繰り返してきた夫。いつしか、そんな生活にも慣れたと思っていたのに…。初めて味わう孤独感。そこから、「夫婦で過ごせる時間を大切にしたい」という思いが募っていったのです。
相手の思いを軽んじていた私
30年ほど前の私の夢は、神のお守りの中で、仕合せな家庭を築くこと。夫もそれを理解してくれ、共に信者となり、教会で結婚式、神受祭を挙げました。ところが、2人の子供に恵まれて、仕合せに暮らすうち、「これで十分」と感じるように。教会からは足が遠のいていきました。
あらためて神の教えを学んでいくうちに、心に響いた「和のある家庭」の大切さ。私は…というと、ちっとも夫の気持ちを考えていませんでした。夫に「これは、こうなんや」と言われても、「でも」とすかさず反論。すぐに口答えしていたのです。しかも、相手の話を聞いているようで、興味がなくなると、スマホをいじりながら空返事。せっかく夫婦になれたのに、このままでは悔いが残る。大事な夫のことを、もっと分かりたい。心が夫に寄り添っていきました。
ようやく伝えられた本心
夫に長生きしてほしい。夫がいない人生なんてあり得ない。本人にはなかなか伝えられない、この思い。言えたのは、神受祭を挙げた夫婦が集まる「神寿の集い」での、仲間との語り合いの場でした。夫の入院中に寂しかったこと。夫婦で神の教えを学んで、子供たちに良いものを残していきたい気持ち。顔を見ると泣きそうで、あさっての方を向いて語った私の本心。夫は驚いた様子でしたが、穏やかに変わった表情を見て、思いが伝わったのを実感しました。
心が通い合う夫婦になれて
「夫の心を大切に」。それ以来、ずっと意識しています。たわいない話も、顔を見ながら、「うん、うん」と最後まで聞いている自分。夫の心を感じると、不思議と興味がうせないのです。夫もうれしそうで、これまで以上に、いろいろな話をしてくれるようになりました。「ささいなことでムキになって、ギスギスするより、居心地の良い雰囲気の中、二人で過ごしたい」。そう思っていると、意見が違っても、自分の考えにこだわり過ぎずにいられます。「ほんまやな」と、こんなに素直に言えるなんて、自分でも驚きです。
最近は、夫が私のことを気遣ってくれているのがよく分かります。二人で学ぶ機会も増えて、どんどん「和のある家庭」になってきました。これまでも仕合せと思ってきましたが、夫と心が通い合う毎日に、今までにない仕合せを感じています。
気持ちを向けたその時から、ご守護が届く。神は常に守ってくださっているのに、自分の心が遮っていただけ。神の愛の深さに気付いた時は、涙が止まりませんでした。神から正しい生き方を学び、夫婦でもっと仕合せに。そして、そんな私たちの姿を見た子供たちに、「この家に生まれて良かった。自分も両親のように…」。そう思ってもらえる生き方をしよう。神受祭の時よりも、強く二人で誓っています。
有限の「人生」
その意味(価値)を二人で味わい
思いを残さぬように
会話を楽しむ我(二人)であれ
この一言心に留めて
時(人生)を刻むほど
「心の道」に縁を深めてゆく
『真実の光・神示 平成26年版』109ページ