No. 1551

母に優しくできない自分
つかえていた思いが流れて

(石川県MH/50代女性/会社員) 

子供たちが独立し、夫と母と私の3人で暮らす日々。もめ事はなくても、心につかえるものが、ずっとありました。 

“仕方ない”が“大事なこと”に

幼い頃に父が他界し、働きどおしの母とは、顔を合わせた記憶すらごくわずか。高校を卒業してすぐ結婚したため、まともに話したこともありません。母も私と同じ境遇で、家族との会話がなかったそうです。 

母に温かい心が持てず、優しい言葉一つ掛けてあげられない。それが、私の心のつかえの要因でした。こういう家系だから仕方ない、そう思っていました。しかし、偉光会館に行くたび、“仕方ない”と流せず、“大事なこと”に思えてくるのでした。 

“やってみよう”の心になれたら

それを職員と話す中で、ふと気付きました。私って寂しかったのかも…。「お母さんに気持ちを話して…」後押しされたものの、「時間がないし…」「いまさら照れくさくて…」と、出てくるのは無理だと決め付ける思いばかり。でも、それを打ち消す強い軸が芽生えたのです。「このままだったら一生変わらない。やってみよう」。 

これまで母はどんな思いでいたのだろう。そんな気持ちになると、愚痴をこぼしたくなるほど苦しかったんだ。冷たい態度を取るのも、同じ苦労をさせたくないという愛情からだったのかも…。母を理解し、さらには感謝する心にもなれたのです。母にきつく当たったとき、陰でフォローしてくれていた夫にも感謝でいっぱいでした。 

二人の距離がぐっと近く

母の口癖は「あなたたち夫婦の仲が良ければ、それだけで仕合せや」。だからといって、夫と子供にだけ愛をかけ、母をないがしろにしていいわけがありません。全然生き方がズレていたと大反省でした。それから程なくして、絶対に無理と思っていたことが、ごく自然と言えたのです。「ねえ、お母さん、私の話を聞いてくれる?」。母も私も涙ぐみながら、思いを語り合ったひととき。今までに味わったことのないあったかい時間でした。心のつかえが取れ、二人の距離がぐっと縮まったように思います。 

私がコロナに感染して隔離状態になった時のこと。「寂しい」と泣いて部屋に来てくれた母に、「大丈夫だよ」と手を振る私。心配そうな目で見る姿に、母の愛が伝わってきて、思わず涙が出ました。 

優しく広い心の自分に

母は、困っている人を見過ごせないお人好し。その行動が理解できずに責める私も苦しかったけれど、分かってもらえない母の方が、もっとつらかったかもしれません。それが、少しずつ優しく広い心になってくると、イラッとしないどころか、「お母さんらしいな」とほほ笑ましく感じます。「そうなんや」「良かったね」と相づちを打ちながら、和やかに会話。すっかり温かい空気が流れて、心地いい我が家です。 

先日、夫と老後の話をしながら、母がいてくれたから働けたし、いろいろ助けてもらったと、感謝を語り合いました。「お母さんがいてくれたから…」を探しながら、3人の暮らしを楽しみたいです。

生きがい多い人生を手にするために
  信者は 家族で「教え」を学び
   「真理」で心触れ合い
    重なる家族をつくる努力が必要
 家族とは 「心の道」を共に歩み
    因を実体として受け継ぐ関わり
 この真実を深く悟り
    家族で「教え」を共に学ぶべし
 この実践の中で
  自然と
    家族の心(運命実体)は重なり
   良き因を「心の道」に残してゆく

『真実の光・神示 令和2年版』26ページ