No. 1472

いるのが苦痛だった我が家
今、その場所で味わう喜び

(長崎県KN/40代女性/会社員) 

「何でこんな家なの…」。けんかしてばかりの両親と、障害があり、時に暴力を振るう弟。当時、私は20代。家にいるのが苦痛で仕方ありませんでした。 

子供の頃から信者だった私は、逃げ出すように偉光会館に通いました。ところが、そこでもまた心が苦しくなったのです。神の教えに出てくる「親、先祖への感謝」。つらい思いばかりしてきたのに、感謝なんかできるはずがありません。祈願しても、教務相談を受けても、何も変わらない自分の心。「もう祈願するのやめる!」と、神に背を向けた直後のことでした。 

友人から電話がありました。投げやりになった私を優しく励ましてくれて、受話器を置いた後、思わずまた祈願…。「やっぱり頑張ります」。その時、苦しさを乗り越える力を、神から頂いた気がしたのです。 

初めて見えてきた父の愛 

それは、やがて確信に変わりました。父ががんで入院し、見舞った時のこと。なぜかうれしそうな父がいました。「うちの娘です」と周りに自慢し、帰りは手を振って見送ってくれて…。「お父さんは、私を愛してくれていたんだ」。思わず手を振り返した自分。うれしくて、帰り道は涙が止まりませんでした。 

父に長生きしてほしい、もっと一緒に過ごしたい…。180度変化した私の心と連動するかのように、父は元気になって退院。ところが、家にいると自由な行動を取る父に、また嫌気が差し始めてしまいました。 

「子供らしい関わり方」とは 

でも、私の心は、前ほど苦しくありませんでした。「親に感謝しなきゃ、しなきゃ…」と無理やり教えに押し込めようとしなくても、「神のお力を頼れば大丈夫」と確信していたから…。感謝できないことも、そんな自分が嫌なことも、本当は温かい心で関わりたいことも…ありのまま祈願。そうしたら、再び転機が訪れました。 

神の教えで妙に心に留まった「子供らしい関わり」という内容。今まで何となく親に言っていた「無理しないでね」の言葉も、「生きていてくれるだけでうれしいから、無理しないでね」「大切な存在だから」。こんなふうに「娘としての気持ち」を乗せて、伝えていくようになったのです。 

私が神から頂いた心の奇跡 

そこからの変化は目覚ましいものがありました。早朝勤務の私のために、母が早起きしてご飯を作ってくれたり、父が「気を付けて行ってこいよ」と優しく声を掛けてくれたり…。いるだけで苦痛だった家の中が、いるだけで落ち着く空間に大変化。買い物に行くと、家族が好きな食材や、弟が喜びそうな物をつい手に取る私がいます。 

何十年も抱えてきた孤独や寂しさが、きれいに消えている奇跡。今、両親を見ていて思います。真面目さ、根性のあるところは私も同じ。2人から良いところをもらって感謝だな…と。この心の変化も大奇跡です。「神は絶対に見捨てない。必ず仕合せになれる」。私が体験しているこの奇跡を、周りの人に自信を持って伝えたいです。

「真理」を学び
     教えを我が家に生かすなら
 自然と家族の思いが重なり合って
  「心(魂)」安らぐ家と生(な)る
我が身(人生)の分 立場をよく悟り
    家族に我が「思い」を語るべし
 この思い(信念)が深まるほどに
    家族の心(愛)が見えてきて
  「生きがい」手にする
          人(人生)と成る

『真実の光・神示 平成25年版』11ページ(中略あり)