No. 1465

深められなかった親子の縁
一歩踏み出して得た仕合せ

(愛媛県MM/60代女性/無職) 

「和のある家庭」と、神の教えでいつも学びますが、私には夫も子供もいません。勉強会から帰って、「さあ、教えを実践しよう」と思っても、家の中には私一人…。近くには高齢の母や妹がいるものの、何となくピントが合わない感覚がありました。 

引きずっていた母への思い

というのも、私は幼い頃、家の事情で家族とは暮らさず、隣の祖父母の家で育ったのです。そんな私の一番の味方は、祖父母。20代で祖母を亡くした時は、これ以上ないほどの悲しみでした。その時、私はこう言ったそうです。「お母さんが亡くなっても、こんなに悲しい思いはせんと思う」。 

それくらい、私は母が好きではなかったのです。小学生の時、良い成績を取ったことがうれしくて報告したら、「何の教科? 音楽? なーんだ」と言われたのが子供心にショックで…。以来、母は「私の気持ちを分かってくれない人」。口答えしていた記憶しかありません。 

心の道に傷を残さない生き方

月日が流れ、60歳を過ぎて仕事を退職した後、私も残りの人生を考えるようになりました。その頃、学んだ神の教えが深く残りました。 

「心の道」…。自分がこの世を去り、次に命を授かる時には、同じ血の流れに生まれてくる。親に歯向かってきた私は、心の道に「傷を残す生き方」をしている…と思ったのです。母が長生きしてくれているのだから、今はきっと「縁を深める時」。そんな気持ちがじわっと湧いてきました。 

毎日、母に電話することにしたものの、聞かされるのは愚痴や泣き言ばかり。私は、母を思って正義感たっぷりに、「こうしなきゃ駄目だよ」と伝えました。でも、お互いスッキリしません。これも神の教えで気付けたのですが、「母は何がつらいのか?」寄り添う気持ちが足りなかったのです。

そこを祈願して関わっていくうちに、母は愚痴を言わなくなり、代わりに掛けてくれた言葉は、「優しくなったね」「すごく変わった」。前は、「偉光会館は、遠くてよう行かん」と断られたのに、最近は「一緒に行きたい」とも…。ご神前で「うれしい…」と大粒の涙を流す純粋な姿に、「母がいたから、今の私がいるんだ」と、何とも言えない感謝が込み上げました。 

初めて気付けた「親心」

昔、母に「本当は幼いあなたを抱きたかったけれど、抱けなかった…」と言われたことを思い出しました。今になってようやく気付けた親心。「お母さん、長生きしてね。大事な家族だから…」と伝えました。これまで、そういう気持ちが湧いてもこなかったのに…。本当に不思議です。母は喜び、近所の人にまで、「娘がこう言ってくれた」と話しているそうです。 

小さく、丸くなった母の背中を支えながら思います。過去、手をつなぐことさえできなかった私から、こんなことができる私になれたんだな…と。母のそばで親孝行できる喜びを、身いっぱいに味わっています。 

「心の道」に実体を
   受け継ぎ 「生きる」
      人生の真実に気付いて
          神示に触れるべし
 自然と 気持ちは安定し
  家族を大切に思う愛(こころ)が
               芽吹く
 会話が生まれ 深まり
  「真実の愛」で関わる家庭と
             成ってゆく

(令和6年6月15日 信者心の道勉強会『友輪』342号12ページ)