(宮城県SS/40代女性/公務員)
「願いがかなえば仕合せ」。子供の頃からそう信じていたのに、全く思いどおりにはいかない私の人生。ぜんそく持ちで、学生時代は体調を崩すことも多く、パッとしない日々。教師を目指していたものの、大学受験に失敗して短大に進学。ようやく願いがかなったのが、就職の時でした。
願いがかなう=仕合せではない
「できるだけ給料が高くて有名な会社に」と希望していた中、採用されたのは、まさに私の望みどおりの企業。ところが、いざ就職すると、周りより役に立てていないことに落ち込むばかり。休憩時間は一人で泣いていました。さらに対人関係にも悩み、体調を崩して辞めることになったのです。
願いがかなったのに、仕合せからは程遠い日々でした。自信も失い、どん底まで落ちた心を何とかしたいと偉光会館に通い、真剣に神の教えを学び始めました。
目指すは運命に重なる生き方
「私の生き方、間違っていたな」というのが大きな気付きでした。特に家族に対してです。「おかしいな」と思えば、「私はお母さんのようになりたくない」などと言って、どれほど心を傷つけたか…。神から頂いた人に役立つ力、「運命」を枯らす生き方をしていたと感じたのです。仕合せになれなかった原因がつかめた思いでした。
同じ頃、転機となる出来事がありました。友人と話す中で、昔、周りに勉強を教えて喜んでもらえたことを思い出し、「これなら役に立てるかも」とひらめいたのです。程なくして、塾講師の採用試験に合格。短大卒の私は、四大卒の同僚を見ると、正直、学歴コンプレックスを感じたこともあります。形にこだわる心を変えたい。生徒の良いところを見つけて、全力で関われるように。祈願、祈願で臨む毎日でした。
不思議なことに、自分が大学受験で悔しい思いをしたからこそ、生徒の気持ちに寄り添える…という経験をたくさんしました。しばらくすると、生徒や親御さんから次々と指名を頂くようになり、やりがいにあふれた日々に変わったのです。
どんな出来事も糧にできる喜び
結婚を機に退職し、今は行政の仕事をしています。これも不思議ですが、配属先は、高校時代から興味があった生涯学習の部署。神の手の中で、私の運命を生かせるように…と頂いた仕事に思えてなりません。
母や妹には、「すごく丸くなったね」と言われ、少しずつ運命に重なる生き方に近づけている気がします。ありがたいことに持病のぜんそくも起きず、元気いっぱいで過ごす毎日。思いどおりにいかないことがあっても、神の教えと祈願があれば、いくらでも仕合せのきっかけにできると分かりました。今、本物の仕合せを味わっています。
神が使者を通し
社会に示す「教え」は
全てが「真理」
人が 気付きを得て
悟りを深めるべき
「道の真理」である
神の手の中
運命に導かれて 人生を歩む人間に
先を読む力(能力)はない
よって
「真理」を
人生の支えに「生きる」ことで
「人生の軸」支えが身に付く
人生の先は読めずとも
「運命」が悔いなき人生へと
心を導いてゆく
『真実の光・神示 令和4年版』18ページ