(鹿児島偉光会館HT/50代男性)
神棚や仏壇のない家に育った私は、そうした世界は自分には縁遠いものと思っていました。妻と出会って神示教会の話を聞いても、「知らなくても仕合せだったのだから、教えは必要ない」「絶対無理」とかたくなに拒否。全くの「食べず嫌い」でした。
そのような私に、義母は温かく声を掛けてくれました。「まずは苦しい時に祈願してごらん。それだけで心が楽になるから。学びはそれからでも大丈夫」。今考えると何とも乱暴な説明です。でもそこに、あふれんばかりの愛があったから、私は信者となったのだと思います。
妻のひと言で振り返った人生
しかし、その後の私は仕事に追われ、偉光会館に足を運ぶどころか、子育てや家事も妻に任せきり。約20年の間、神に手を合わせることも、教えを学ぶこともなく過ごしてきました。自分を省みることのない歳月は、私の生き方も、体調も悪い方へ向かわせるには十分だったのでしょう。2年前、持病のある心臓に異常が見つかり、手術を受けることになったのです。
手術前、妻はストレッチャーに乗せられた私をじっと見詰めて言いました。「神様が絶対に守ってくださるから。祈願してね」。力強いそのひと言に、目が覚める思いでした。「私は神と出会っていたのに、一体何をしていたのだろう…」という気持ちが不思議と湧き上がってきました。夫として妻を真にリスペクトしていただろうか。子供たちとは、ちゃんと向き合えていたか。職場の仲間とはどうだろう。「あなたのおかげで」と、感謝を伝えていたか。お客さまに、心から奉仕していただろうか。
手術台の上で、私は初めて自分の未熟さに気が付いたのです。同時に、心を守ってくださる「神」のご存在を確かに感じ、ありのままの思いを訴えました。「神様、未熟な私にいま一度、教えを学ぶ機会を下さい。妻や子供たちと真正面から向き合い、心を通い合わせたい。感謝や奉仕の心で仕事に臨みたい。私にもう一度チャンスを下さい」。先入観も、見栄(みえ)も体裁もなく、本心から神に語った思い。それは、義母が教えてくれた「祈願」そのものだったと思います。そして神は、本気で求める私の思いを確実に受け止めてくださいました。あれほど抱いていた恐れや不安が、自然と抜けていったのです。
まるで「化学変化」のように
手術は無事に成功し、術後の経過は良好で、今、私は毎日元気に働いています。もちろん、あの日神に誓ったとおり、教えをしっかり学び、自分の心を見詰める日々です。家庭を支える立場である私が変わったら、妻や子供たちとの関係も大きく変化。すごい化学反応が起こっています。病気はつらかったけれど、それを機に全てが良い方向に向かった奇跡。妻がいてくれたから、私はここまで変われたのだと、感謝の思いが込み上げてきます。神のご存在を感じる毎日は、安心感と喜びにあふれています。